風月の騒乱

第1節.ペリード家

 ※読み難い場合、反転させてご覧下さい。すみません。


 琺夜暦カランドリエ・アグリコル1012年、雨月プリュヴィオーズ30日<橇の日トレノー>。
 雪月ニヴォーズの頭からちらつき始めた雪は、月が替わっても降り続き、世界を白で埋め尽くしている。
 二〇七歳の長老さえも、生まれてこの方経験したことがないと語った未曾有みぞう豪雪ごうせつは、さしもの琺夜ほうや軍の動きをも凍結とうけつさせ、琺夜の都市機能を完全に麻痺まひさせていた。
 それでもこの夜、シェオ・フローリィ宮には明々とオイルランプがともされ、雪掻ゆきかきされたばかりの中庭や大広間では、大勢の人間達が飲み食いと議論ぎろんいそししんでいる。
 風月ヴァントーズ1日<フキタンポポの日テュスィラージュ>は、琺夜国王e葵しゅうきの、四六回目の誕生日。
 その記念式典を明日にひかえた本日の国王議会で、王はいくつかの重大な決定を行った。
 罪人の恩赦おんしゃ治水ちすい工事と古い街道の整備をじくとする都市再生計画、アッシュダーク公爵家及びユーン公爵家の私設軍隊アルメ・プリヴェの解散要求、貴族に対するタイユ税免除制度の廃止等である。
 これが発表されるや、これまで王に対する軍事的貢献こうけんと引き換えに税金の支払いをまぬがれていた貴族達は、怒り狂った。
 確かにここ数年、金のかかる長期的な戦は減っている。単純に考えれば、出費の減った貴族達が公共の為に税を負担するというのも当然の話だろう。
 だが。
 十五年前の雪辱せつじょくを、琺夜はいまだ成しげていない。
 セルズ王ベルゼゲルの手によって、シノアの凍った湾に瑜威紀胡ゆいきこ王の亡骸なきがらを打ち捨てられ、全ての属国トリビュテールとこの王都までをも占領せんりょうされ、屈従くつじゅうの日々を送ったことを、琺夜の民は忘れていない。
 かつて国王陛下は、暴政ぼうせいふるったセルズ人の琺夜総督そうとくを殺し、琺夜族の王による自治を取り戻したのではなかったか。
 琺夜はかつての属国を未だ取り戻せず、メイシャの森があるガシュクジュール盆地ぼんちにさえ、陛下の威光いこうは届いていない。それなのに、こんなところで行軍をあきらめてしまうのか?
 都市を住み易く整備するのは大切だが、それよりも今すべきことがあるのではないか。民に安穏あんのんとした生活を送らせ、琺夜の国威こくいを地にとすのが、陛下の望みであらせられるか?
 
 口々にそんな不満を述べ、撤回てっかいを要求する議員達は、しかし。
 次に王が口を開いた時、税金や戦争のことなど、完全に忘れてしまった。


 この日、王は、次代の琺夜を担う王太子プランス・エリティエを指名した。
 その王子の名が告げられた時。
 その瞬間こそが、後の歴史に語られる、“風月の騒乱エムート・デュ・ヴァントーズ”の始まりだった。






 「冗っ談じゃないっ!」
 美しい顔を真っ赤に染めたフルリールが、華奢きゃしゃ両拳りょうけんでテーブルをぶち割る。
 「当たり前だ」
 向かい合って座るマルヴェは、片手にソーサーを持ち、涼しい顔で紅茶をすする。
 「・・マホガニーの一枚板だぞ。いくらしたと思っているのだ?」
 「買ったばっかりなのにな〜。兄貴、意外に力あるんだな」
 テーブルの上にあったティーセットと花瓶をそれぞれ両手に持つファルツとフォーゲルは、これを母親にどう言い訳しようかと考えている。
 今夜、第二王妃アサギ=ペリード・クリスタロスのやしきでは、四人の王子達が顔を合わせていた。
 丸々と太った内務卿ミニストル・ドゥ・ランテリユールのマルヴェ、がっしりとした体格の鉱物博士ミネラロジストファルツ、乙女のように見目麗しい歌手シャントゥールフルリール、まだ幼いが、賢そうな美少年のフォーゲル。
 一人、激昂げっこうしているフルリールは、二人の兄と一人の弟を見渡して、ぎっ、と歯を噛み鳴らした。
 「皆、気楽なもんだね。あのくそ忌々いまいましいガキに出し抜かれたってのに。明日にでも、僕らは琺夜から追放されるかもしれないってのにさ」
 「口をつつしめ、フルリール」
 ファルツは眉間みけんしわを寄せ、厳しい声で言う。
 「あんな子供を口汚くののしるな。聞き苦しい」
 「はっ!子供だって?こんな悪知恵の働く奴を、子供と呼ぶのかい?」
 「フルリール」
 カップをファルツの方に差し出し、おかわりを注がせながら、長兄のマルヴェはたしなめる。
 「お前が琅珂ろうがを嫌う気持ちは良く分かる。だが、都合が悪いことを何もかもあの子のせいにするんじゃない。そのような思い込みは、判断力をにぶらせる」
 フルリールはこめかみの横に手を入れ、光の束のように豪華ごうかな金髪を耳の後ろに払った。
 「・・兄さん。本当なら、あんたは今頃祝杯しゅくはいげてた筈だ。あんたが一番の被害者じゃないか。二人してあいつをかばうなんて・・どうかしてるよ」
 マルヴェは溜め息をついて、居心地が悪そうに尻をもぞもぞさせているフォーゲルを見遣みやる。
 「一番の被害者は、琅珂だ」
 そう言っておいて、フルリールが何か言う前に言葉を次ぐ。
 「王太子が国王より先に死ぬことなど、珍しくもない」
 その言葉に、小さなフォーゲルが蒼褪あおざめた。
 ファルツはちょっと眉を動かし、フルリールは一瞬きょとんとした後、にんまりと笑う。
 「無論、親衛隊ガルドにはよく気をつけるよう言っておくが・・自信過剰かじょうなあの子のことだ。護衛をつけると言っても承知すまい。困ったものだ」
 マルヴェがそう言ったので、フォーゲルはほっと力を抜いて、うんうんとうなずいた。
 「兄上、強いよな!俺、第三兵舎でさ、バルダザール将軍がぶっ飛ばされんの見たぞ。カッコいいよな〜!」
 「・・・・」
 「・・・・」
 「・・・兄上?」
 末弟の無邪気な発言に、マルヴェとフルリールは何とも複雑な顔をし、ファルツは聞き慣れない呼び名に首を傾げる。
 「りん、琅珂は『兄上』なのか?私やフローは『兄貴』で?」
 「え?」
 問われたフォーゲルは、大きな目をぱちぱちと瞬き、
 「うん」
 こっくりとうなずいた。
 「その差は?」
 「だって、兄貴どもは『兄上』って感じじゃねぇもん。マル兄は何考えてるか分かんねぇけど腹黒いし、ファル兄は石オタクだし、フローは何て言うか・・変態へんたいじゃん。見習いたい大人って感じじゃねぇもん。ぶっちゃけ」


 沈黙。


 ぎしっ。
 クッションを乗せた長椅子が、重圧の変化にきしんだ音を立てる。
 「・・言っておかねばならないな、琳」
 腰を上げたフルリールは、テーブルの残骸ざんがいまたいで、幼い弟の両肩に細い指を喰い込ませた。
 「目を覚ませ!あんな快楽殺人鬼にあこがれるんじゃない!あいつはマルヴェの十倍黒いし、ファルツよりマニアックな知識をめ込んで殺しに応用することばかり考えている変質者だ!それと僕は我が身をって美という言葉の本質を世界に知らしめるという崇高すうこうな使命に従い生きているのであって、断じて変態ではない!」
 「墓穴ぼけつを掘るなフロー!まるで説得力がないどころか逆効果だぞ!」
 「・・深謀遠慮しんぼうえんりょの知識人ってことじゃねぇのか?」
 「うわ。何それ、すごい贔屓ひいき
 「そら見たことか!貴様の人格にまるで信頼性がないからだ!」
 「うるさいよ兄さん!『変態』より『石オタク』の方がましな人間だとでも言うのかい、このbâton merdeux!」
 「ましに決まっているだろう!このPUTAIN DE MERDEが!」
 「なー、マル兄。俺ってなんか間違ってるか?」


 片やテーブルの足を、片やティーポットを乗せた盆を振りかざし、翻訳ほんやく不可能な暴言でののしり合うファルツとフルリール。
 「・・フォーゲル」
 マルヴェはあまりの情けなさに片手で目をおおいつつ、手元の呼び鈴を鳴らした。
 「もう、おそい。お前は寝台に行きなさい」






 「・・さて、話を戻すが、」
 壊れたテーブルと置き場のないティーセットが片付けられると、三人は気を取り直し、顔を合わせて座った。
 フォーゲルは迎えに来た侍女に手を引かれ、寝室に引き上げている。
 残った彼らの手には、ワイングラスヴェラヴァン
 「王陛下は、既に決定なされた。我らが何を言おうと、明日には琅珂が王太子となる」
 「毒ならすぐに用意できるよ。医務局に僕のファンがいるんでね」
 グラスの脚を持ってくるくる回しながら提案ていあんしたフルリールを、上の兄二人は冷めた目で睨む。
 「口が軽いな、フロー」
 「また下らない嫌がらせを」
 「事後じご承諾しょうだくってやつさ。これで共犯だろ?」
 廊下から、侍従達がひそひそとささやき合う声が聴こえて来る。「次の犠牲者は誰だ?」と。
 王子達が母の母国クリスタリーニッシュ語で談合している時、大概たいがいにして誰かを破滅はめつさせる陰謀いんぼうっているのだと、この邸で働く誰もが知っていた。

 「貴様はいつも先走る」
 「心配かい、兄さん?大丈夫さ。僕を疑ったって、あいつは可愛いひきょうを泣かせたくないんだ。実の兄を告発したりしないよ」
 マルヴェは憮然ぶぜんとして、ワインに口をつけた。
 「あの子を選んだ理由を、父上が何と言ったか、聞いていたか?」
 フルリールは、はっと息を吐き捨てた。
 「『雪が降るから』だろ!『時代が“死と破壊の神ディーシェス”を求めているから』だってさ!・・馬鹿馬鹿しい。昔、同じ理由であれを追放した男が、今度は何を言っているんだか!あのクソボケ親父・・いや、あの女の入れ知恵かな?騒ぎにまぎれてセコい法案通したいとかいうのが本音じゃないだろうね?」
 マルヴェはふっと笑った。
 「王后陛下サ・マジェステ・ラ・レーヌも驚いておられたな。瞭桜りょうおう様ならば、私か玉葉ぎょくようを選ぶ。父上の独断であろう。確かに、税制改革ぜいせいかいかくについてクレイ=ユーンから攻撃されなかったのはありがたかったがな。バルダザール=ロッシやニコラ=ブティエが軍縮ぐんしゅく異議いぎを唱えなかったのも前代未聞ぜんだいみもんだ」
 ハルトハウズのロッシェル・パウロー産、辛口の白。豊かな果実味とスパイスの香りが絶妙に調和し、口当たりはまろやかだがやや舌を刺す苦味が残る・・などと気取った感想を呟いて、グラスをす。
 「・・思えば、あれも哀れな子だな。妙な迷信に付きまとわれ、父上の気紛きまぐれに振り回されてな」
 「全くだ」
 マルヴェはファルツに同意して、窓の外を見た。
 最近には珍しく、晴れた夜だ。月明が雪のおもてを青白く照らしている。確かにこれは、死人の顔色に似ているかもしれない。
 「同情するって?これはこれは兄さん達・・」
 「あの子が即位そくいしても、長くは持たん。父上もそのおつもりであろう」
 フルリールは人を小馬鹿にするような笑みを消し、厚いまぶたに隠れている兄の目をのぞき込んだ。
 「私が王になったら、戦によって国を広げることなど、いい加減に終わらせるつもりだった。今は交易の時代だ。金融きんゆうによって他国を制することは十分に可能だ。それを叔母上が証明したというのに、何故わざわざ血を流す必要があろう?」
 「ガシュクジュールの民は、市場経済しじょうけいざいに関しては無知に等しいからな。フィディック山脈の西側ならいざ知らず、ここで兄貴の理想を説いても無駄だろうよ」
 「一千三百四十万の人口がほぼ全て軍人では、琺夜の文化に発展性がないことも頷ける。人的資源の不適切な運用が、ひずみを生み出しているのだ。この国を代表する識者しきしゃ達が、生活の質を向上させることを堕落だらくだとほざく!手始めに街道の整備だけは何とか認めさせたが、将来的にはメイシャの森を少しばかり切りひらいて新都市の建設を・・」
 「だから兄さん!おおむね賛成だけど、グラーヌムの森を宅地に変えようなんてのは、許せないね」
 「その議論は別の機会にするがいい。話の腰を折るな、フロー」
 マルヴェはファルツに微笑みかけて、話を続けた。
 「だが、琺夜の民は戦をしたがっている。原始的な暴力の保持ほじこそが国威こくいであると思い込んでいるのだな。・・私は一度、戦で子供を亡くした母親達を集め、国民広場で反戦をうったえさせようとしたことがある。だが、数が集まらなかった。心の内はどうあれ、琺夜の女達は我が子の戦死を『名誉』と呼ぶ。実に理解し難い・・これが、琺夜の悪しき教育の恐ろしさだ。いつわりの正義に、脳髄のうずいまで支配されているのだ。まずは、目を覚まさせてやらねばならん」
 「・・完全に同意はしないが。つまり?」
 ファルツが怪訝けげんな顔をしていると、「そんなことも分からないのかい?」と嫌味ったらしくフルリールが言った。
 「戦をさせてやればいいんだろ?馬鹿な群集ぐんしゅう未熟みじゅくな王について行って、勝手に暴れて犬死いぬじにしたらいいのさ。琺夜族のあがめるディーシェスの化身とやらに従っても死体の山を築くだけだと思い知れば、生き残った連中はもうりだと思うだろう。それで、今までの価値観やら生き甲斐がいやらを失くして腑抜ふぬけになった馬鹿どもに、希望の光を示すのが我らが兄上という訳だ!・・最も楽観的なシミュレートだと、こんな感じだろ?」
 「・・・・」
 ファルツはちらと、腹のむかつきに耐えるような表情をしたが、すぐに真顔に戻る。一方マルヴェは、「そう簡単ではなかろう」と言いつつ、否定しない。
 「タイミングが難しい。国家の建て直しが不可能になるほどの犠牲は出せんからな。一度強国に侵略しんりゃくさせておくという手もある。セルジリアとも、接触しておくべきだろう。あの連中とは、まだ話が合いそうだ」
 「危険なけだな、兄貴。下手を打てば、あんたこそが反逆者と呼ばれることになるぞ」
 「つまらないこと言うなよファル。だから面白いんじゃないか。・・兄さん、あんたも悪だねぇ。どんな邪魔者も、踏み台にしか見えてないってことかい」
 フルリールは美しい顔をゆがめ、くつくつとのどを鳴らした。
 ファルツはただ肩をすくめて、それ以上反論する意思のないことを示す。
 「では、この件については私に任せ、お前達は静観せいかんしろ。良いな、フルリール」
 「ん?ああ、あれ?」
 フルリールはどうでもよさそうに、ひらひらと手を振った。
 「今後は気をつけるよ。まだ騒ぎになってないから失敗したみたいだけど。仮に成功してても、今死んでくれたらそれはそれでいいじゃないか」
 ファルツは、軽薄けいはくな弟を横目で睨んだ。
 「フロー。既に手配済みだったのか?」
 「兄さん聞いてなかったのかい?言っただろ、事後承諾って」
 マルヴェは、「仕方ない奴だ」と呆れている。
 「・・後悔するぞ」
 ファルツは鋭い目を半眼にして、苦々しく吐き捨てた。
 「ああファル、あんたやっぱり、あいつが可哀相かわいそうとか思ってるのかい?」
 ファルツは弟のにぶさにうんざりして、溜め息をついた。
 「兄貴が、琅珂は被害者だと言っただろう」
 「・・・え?」
 そこでようやく事態じたいを飲み込めたフルリールは、目をらすようにしてファルツを見る。

 「一般に向けた正式発表は、明日だ。琅珂も今はまだ悪質な嫌がらせ程度に考えているかもしれんが。・・毒を盛られた翌日に、自分が王太子にされたことを知ったら、どうすると思う?我慢するか、お前なら?」
 「・・・・」
 ぽかんと口を開けたフルリールが、ぎこちない動きでマルヴェの方を向いた。長兄は、「私は関係ない」とばかりに澄ました顔をしている。
 「・・・このワイン、苦くない?」
 凍りついた硝子ガラスの窓に視線をやり、月下の雪と同じぐらい蒼くなったフルリールに、ファルツは呆れて皮肉を飛ばす。
 「こんな時にあの子の忍耐にんたいを試そうとは。大した度胸だ、フルリール」
 マルヴェは愉快そうに目を細め、たっぷりと肉のついた下あごを撫でた。


 「可愛い翡を悲しませぬよう、今回も牙を収めておいてくれることを願うのだな」



腹黒兄弟談合。