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第10章 Iolar 〜鷲〜
「よし!こんなもんだろ」 「あのさ・・クレイ・・」 「しかし流石だな。こんな器械をあっという間に組み立てちまうとは。後は照準さえ合わせてくれりゃ何とかなりそうじゃねぇか」 「・・ここまでやって何だけどさ、やっぱり・・」 「よぉし!今のところは見晴らし良好。霧が来る前に頼むぞ!」 「・・・・」 翡 ![]() 大隊の仲間達は、それぞれ呆れ果てた顔をしているだけで、何も言わない。 弩の設置に使う筈だった時間をこの馬鹿げた準備に充ててしまったせいで、既に後戻りはできない。院将軍がここにいたとしても、クレイの作戦は結局続行することになるだろう。 「あぁ・・俺は何やってるんだ。兄上は何やってるんだよ!!」 ジァヴとザンの乗った小船は、黒々とした軍艦の群れにゆっくりと近づいて行った。 「ジァヴ様!」 ジァヴはびくっとした。 ザンの視線を追うと、何かが鋭い音を立てて飛んで来る。 人の頭蓋骨を貫くのに十分な速度と強度を持つであろうそれは、ジァヴに届く寸前で勢いを無くし、ころんと船底に転がった。 鋭い鏃を持った矢だ。 ザンはほっと胸を撫で下ろし、空気に向かって礼を言う。 「・・助かりました。シォダ様」 「・・・・」 ジァヴは、黙って櫂を漕ぎ続けた。 (私、狙われたのかしら?) ザンは何を見たのだろう。飛んで来る矢に気づいたのだとしたら、矢が届くのが遅過ぎる。自分を狙った狙撃手がいたのだろうか――ザンの味方の中に。 それより、またシォダの名前。 風を操るザンと、もっと強力な力を持つらしい王。 シォダも、彼らと同じことができるのだろうか。 改めて思い返せば、思い当たることがいくつもある。 父は、シォダやイーファの見ている世界も、見えず、聞こえず、触ることができないだけで存在しているのだと言っていた。 だとすれば・・ 「・・精霊に、王はいるの?」 唐突な質問に、ザンは目を丸くした。 ジァヴはちょっと赤くなる。 「私が変なことを言っていると思ったら、笑って。・・夢の話なの。私が悪夢を見ている時に、水の精霊の王だっていう、不思議な女の人が話しかけてきたの。セルズの磁器人形みたいに表情が硬くて、すごく不気味なんだけど、喋り方は子供みたいな人。その人が、私が“藍の虹”の族長になったって言ったの。名前は・・」 「ジァヴ様」 ザンは、厳しい声で遮った。 「精霊王について、私は何も答えられません。しかし、一つだけ警告しておきます。与えられた精霊の名を、不用意に口外してはなりません。呪いが降りかかります」 ジァヴは困惑した。ザンの顔は、真剣そのものだ。では、あれは夢ではなかったのだろうか。『精霊』とかいう神秘的な存在にしては、あの女性はあまりにもおどけていたのだが。 「彼女は私を守護すると言ったわ。でも、今まで一度も助けてくれなかった」 ザンは首を振った。 「精霊の価値観は、人のものとはかけ離れています。明確に名を呼んで助けを請わない限り、彼らが我々の世界に干渉することはないのです」 「そう・・」 ザンは何だか居心地が悪そうにもぞもぞし、急に話題を変えた。 「ジァヴ様!念の為に、顔を隠していて下さい。その・・」 「分かってるわ。ハリネズミになるつもりはないから」 ジァヴは王が残していった黒いマントを顔に巻きつけ、覆面代わりにする。 それから、ジァヴは何も喋らなかった。ザンも、口を噤んだ。 二人を乗せた船はゆっくりと、一番大きな旗艦に向かって進んで行った。 「ザぁン!!よくやった!よくやったぞ!!」 二人が縄梯子で甲板によじ登ると、待っていたのはナギ島の長、ニーツァイセンだった。 潮風でごわごわになった鳶色の髪と長い髭。筋肉のしっかりしたごつい体。鞣革のような色と質感の肌。身の丈は約2メートル。 理知的で痩身のザンには、あまり似ていない。ジァヴはあの琺夜の将軍ライカンを思い出し、密かにぞっとした。 彼は大きな体で抱き潰さんとするかのように息子を抱擁し、頬擦りする。 愛情に溢れた父親の割には、ザンの胸を穿つ大きな傷に気がついた様子はない。息子が宝箱の鍵を持って来たことが、余程嬉しかったのだろうか。 ザンの対応は、冷ややかなものだった。 「父さん、女王の御前です。ご挨拶を」 ニーツァイセンは、まず市場に並ぶ魚を値踏みするような目でジァヴを見た。 ますます、ライカンにそっくりだ。 嫌悪感が込み上げて来て吐きそうになったが、ジァヴは覆面をずらして顔を出し、胸を張った。 途端、島長が笑い出す。馬鹿にしたように。 「おぉ、ザンよ!あのように、無い胸を突き出されてもな。欲情しようもないだろうが、まあ頑張れ。あと数年も経てば少しは実ってくるだろうよ!」 それは島の言葉だったが、ザン曰く、双牙列島諸国の言葉とシノアの言葉は、セルズの言葉と琺夜の言葉よりもよく似ている。リズクと長い時間を過ごしたジァヴには、何となく理解できた。決して愉快な意味ではないことが。 「ごきげんよう、ニーツァイセン。スイヴナ殿はどうしたのです?」 呼び捨てにされた島長は、今度こそジァヴの目を見た。 息子をからかうのをやめて、大きな体で威圧せんばかりにジァヴを見下す。 「ようこそ、シノアの女王どの。私には敬称をつけて下さらんのかな?」 まるで言葉の間違いを指摘する時のような、笑いを含んだ問いかけだった。 「ハルスターは王国です。同じ王に対しては、敬意を払いましょう。スイヴナ殿があなたと対等に接するなら、私もそれに倣いますが」 ニーツァイセンは笑みを消した。 睨まれても、ジァヴはつんと澄ましている。 ハルスター島の立法者の長は、セルズのベルゼゲル王に征服されて以来、“王”を名乗っていない。それでも、スイヴナは歴としたハルスター王国の継承者だ。 ザンも、リズクにはちゃんと敬意を払っていた。島長達が集う集会の場では同じ立場だとしても、やはりただの“長”と“国王”は別格の存在だ。 「スイヴナは、ここにいない。島に帰った」 なるほど、とジァヴは思った。今、連合軍を取り仕切っているのは、この男なのだ。 「ではニーツァイセン、あなたにお願いがあります」 ニーツァイセンは、またにんまりと笑顔になった。 生意気なお姫様だが、身柄の保護を求めに来たに違いない。 そうなれば、こっちのものだ。女王から直接助けを求められたなら、ザンをその夫にしても、他の島長達に文句を言われる筋合いはない。 「退却――あるいは降伏して下さい。今すぐ」 ニーツァイセンは、目を瞬いた。 意見を求めようと息子を振り向くと、ザンは静かに頷く。 「聞こえませんでしたか、父さん?」 ニーツァイセンは、獣のように喉の奥で呻いた。 「――何故だ?我々は敵を圧倒している。先制は向こうに取られたが、負けることなど考えられん!」 「私達は琺夜の王に遭いました」 ジァヴは何度か味わった恐怖を思い出しながら、言った。 「彼には、勝てません。戦いを止めて下さい」 ザンも、少し震えながら目を伏せる。この反応を、ニーツァイセンは完全に誤解したようだった。 「なるほど!!蛮族の王が自分の褥から和議の使者を送り込んで来たか!」 ジァヴは拳を握って、この侮辱に耐えた。 「先制を取られた、と言いましたね?本当に勝てると思っていますか!?」 ジァヴは大声で言った。途端、近くで聞き耳を立てていた兵士達が不安そうに顔を見合わせる。 ニーツァイセンは焦った。前衛の島長達が射ち殺されたり、船をひっくり返されたり。そんなこんなを目の当たりにして悪魔に刃を向けてしまったと騒ぐ兵士達を、何とか激励して混乱を収めたところなのだ。 これ以上、小娘に余計なことを喚かれて士気を乱されては堪ったものではない。 「ザン!女王を連れて行け!」 ザンは言うことを聞かず、その場に座り込んだ。ニーツァイセンは息子を怒鳴ろうとして、やっと彼の負傷を見る。 即座に致命傷ではないにしても、血を流し過ぎて死に至る可能性はある傷だった。 「ザン!?衛兵!この娘を捕らえろ!!」 ジァヴは呆れ返った。 この男が、本当にザンの父親だろうか? 兵士達もうんざり顔だが、ともあれ島長に言われた通りジァヴを取り押さえようと近づいて来る。 ジァヴは息を吸うと、口の中で小さく呟いた。 「武器が欲しい・・瑞香君」 “了解♪武器の名前を言ってみな。世界標準語、クリシュエール語を続けてブランク2秒以内に発音するのさ♪古代神聖語に自動変換するよ☆” 「・・・・」 ジァヴは眉間を押さえた。 当たり前のように、おちゃらけた返事が返って来た。何なんだ、これは? だが、今まで知らなかった世界について考えている暇は無い。武器の名前と言っても、「槍、Slea」では駄目だろう。 幸い、名前を知っている武器がある。 王家の家宝。 その昔、戦乙女ジァヴが英雄オシルに与えたという伝説の武器―― 「雷槌、Tintreachasur」 “ぴんぽーん♪認証完了!” 落雷そっくりの轟音がしたと思えば、ジァヴの手の中に、あの短槍があった。 翼を広げた鷲の刻印が、今やはっきりと輝いている。 「さて、と・・」 ジァヴは手の中で槍を転がし、驚いている最初の一人をぶちのめした。 「・・何だこれは?」 気を失いかけたザンを抱き起こしたニーツァイセンは、不可解と不愉快に眉を顰めていた。 空からジァヴに向かって、雷が落ちて来た。 かと思えば、細腕の少女が振るう槍に兵士達が片っ端から叩きのめされている。 最初にかかった者達には手加減があったかもしれないが、今ジァヴと武器を交えている兵にそんな油断はない。 にも拘らず、 「一五・・六人・・」 やられていく部下を数え、ニーツァイセンはぞっとした。 この少女は人間ではない。いや、さっき落雷と一緒に神が降りて来てジァヴに乗り移ったに違いない。 その証拠に、あの蒼褪めた瞳があんなに輝いているではないか。あれは虹を司る七柱の女神の一人、ブレの色だ。 ニーツァイセンは息子を連れて逃げ出そうとしたが、彼の悲劇はこれで終わらなかった。 今まさに、飛んで来ていた。 霧を追うようにゆっくり陸まで飛んだ王は、そこで待機していた天狼の背に飛び乗った。 やはり、空を飛ぶならこちらの方が断然いい。 さて、戦場はどうなっているだろうか? 「イリカ港へ」 行き先を告げると、翼馬はぶるっと鼻を鳴らし、猛烈な速度で翔け出した。 「陛下!」 「陛下だ!」 「うわぁ、どうするんだ!?」 琺夜の兵士達は、何だかやけに浮き足立っている。 戦闘の前に気を引き締めて貰わねば困るのだが、何かあったのだろうか? 「兄上兄上兄上の馬鹿〜っ!!」 自軍の陣地に降り立った王は、いきなり翡 ![]() 「何だおい何事だ!?」 幼い時分ならともかく、最近この弟はどんどん重くなっている。力任せに体当たりされて安全に受け止められるとは限らないのだから、いきなり飛びついて来るなと何度言えば分かるのだ。 兄を押し倒した翡 ![]() 「翡 ![]() 「どこ行ってたんだよ!?何してたんだよ!?」 両肩を掴んでがくがくがくと揺さぶられ、琅珂はうんざりする。 弟の両目に涙が浮かんでいる。どうやら、心配をかけたようだ。 ここにも宥めねばならない者がいるとは、今日は厄日だろうか? 「兄上がっ!兄上がいないからっ!クレイがクレイがクレイが!」 「あ〜!陛下陛下!ちょっと聞いて下さる?もぉ信じられないんだから!」 こっちにやって来るサレアに顔を向けた王は、何とか弟を振り解いて彼女に向き直った。 混乱している翡 ![]() 「何事だ、院。・・クレイ=ユーンはどうした?」 サレアは色っぽい溜め息をついて、両手で豊満な乳房を抱えた。 屈んで横向きの顔を突き出してきたので、王は礼儀通り頬の両側に口付ける。 挨拶が終わると、サレアはちらっと投石器を見上げ、次に流し目で翡 ![]() 「開戦までに、投石器の設置は間に合いませんでしたの。私が聞きたいですわ。何故それが完成してしまっているのか」 「・・・すみません。止めるべきでした」 翡 ![]() 「私も甘かったわ。あの男がそれぐらいやるってこと、分かってたのに。一回ぐらい女の子に負けたからって、へこたれて従順になる訳がなかったわね」 「・・・・」 事態が飲み込めてきた王は、だがまさかと思いつつ、敵艦隊に目を凝らした。 まだ、霧は薄い。 視力はいい筈だが、ここ数日の寝不足のせいか、少し遠くがぼやけて見える。 翡 ![]() 「・・・・」 背後の投石器を振り返り、問いかける。 「奴は、これで飛んだのか?」 翡 ![]() 王は無表情で、天を仰ぐ。 「陛下・・どう思われます?」 サレアが問うと、王は首を振った。 「院。俺は、どうやら奴に借りがある。故に、しばらくは奴の性癖や行動について不満を言い立てるつもりはない」 サレアはぶるぶると体を揺すった。 「男同士で友情を育むのは結構ですけれど。後輩に作戦をぶち壊された上、あんな無茶をされると、私は不満ですわ。彼には言いませんから、率直なご意見をどうぞ」 「・・アホだ、あの男は」 短槍を振り回すジァヴは、後ろに体を捻った時、ついでにクレイの動きを一瞥した。 どうやらこの男は、強かったらしい。 今も肘がぶつかるかと思ったが、実に精確にジァヴの呼吸に合わせて戦ってくれる。 しかし、何だっていきなり空から降って来て、しかも何の疑いもなく自分に背中を預けているのだろうか。 それにしても、この兵士達はそんなにシノアの女王を生け捕りにしたいのだろうか。こんなに手を抜かれては、全く歯応えがない。 「あんた、何でそれ、やらなかったんだ?」 合間に、クレイが話しかけてきた。 ジァヴはちょうど敵兵の肩当を貫いたところだったので、すぐにクレイの質問を理解した。 「今に、知りました。この槍は、速い回転に壊れないこと」 手の中で槍を転がし、滑らせて高速回転させながら石突を押し出せば、普通に槍を突き出すよりも高い貫通力を得ることができる。 こんなことは、いつも使っていた練習用の槍では無理だった。 木製の槍はすぐに穂先が折れ飛んでしまうし、少年達との手合わせでは、手加減の方法しか学ばなかったのだ。 「あなたと戦う時、手を抜きませんでした」 慣れない世界標準語では全て説明できなかったが、クレイは納得したようだった。 大きな剣の腹で敵の顔を叩き、気を失ったそいつを遠くに蹴飛ばしながら、喚く。 「よっぽど弱い相手としか戦ったことがないんだな!天才ってのはいるもんだ。そんな顔しなくても、こいつらは本気だよ!」 ジァヴはびっくりした。 「彼らは本気、こうなのですか?」 言われて見れば確かに、敵はジァヴが振るう槍を目で追えていない。 こめかみに一撃入れると、何が起こったのか分からないという顔で簡単に倒れ伏す。 「・・私、は、強いですか?」 クレイは、はっと息を吐き出した。 「十五の時、俺に勝てる奴は化物だと言われたよ!武術の教官にな!」 ジァヴは二人の額を一度に斬り裂きながら、クレイの腰を見た。 吊っている鞘は、極当たり前の長剣を納める為のものに見える。 彼の剣は大剣だと思っていた。いや、今敵の長刀を折り斬った刃物は、もっと大きくて湾曲している・・かと思えば、細い錐のようにも見え・・ ジァヴは、はっとした。 あの剣は、持ち主の望みに応じて形を変えているのだ。 「・・あなたも、本気でしたか?」 決闘の時、彼こそ何故これを使わなかったのだろう? クレイはジァヴの横顔を見つつ、腋を刺そうとした敵を左拳で撃沈する。 「重いんだよ、こいつ。こんな風に細くなっても、なっ!」 話しながら、クレイは一息で大柄な敵の脹脛を脛当ごと刺し貫く。 血が降りかかると、柄の部分に嵌め込んである灰色の宝石を透かして、スノゥリィ家の紋章が見えた。 ジァヴは目を背け、飛んで来た矢を叩き落とす。 あれも、伝説の武器なのだ。有名な英雄伝説の中に、「炎のように変幻自在の剣」を操るジーラッハという王子の話がある。何故この男がそれを持っているのか知らないが。 「これも国宝だが、陛下には重過ぎて持てないんでな。それに、俺も子孫の一人だ。権利がない訳じゃない」 ジァヴは舌打ちをした。 疲れてきた。倒しても倒してもきりがない。 「あの、」 「ああ、跳べるか?」 クレイが自分の左腕を突き出す。 ジァヴは今更ながらに楽しいことを自覚して、不機嫌になった。 こんな風に自分の力が認められるのも、多くの言葉を必要とせずに意思が通じてしまうのも、初めての感覚だ。 この男は、リズクの仇だと言うのに。 「はい!」 ジァヴは槍の石突で甲板を叩くと、クレイの腕に飛び乗った。 持ち上げられるタイミングにぴったり合わせて、曲げた膝を伸ばす。 響めきが、一層膨れ上がった。 宙を飛んだジァヴは、兵士達の作る槍衾を飛び越え、逃げようとするニーツァイセンを睨みつける。 「だあああああああああっ!!」 島長はぎょっと振り返ったが、もう遅い。 上空から一直線。 鋭い目で獲物を見据えるその姿は、滑空する鷲にも似て―― 思わず見惚れたニーツァイセンは、なす術もない。 ジァヴは両脚で大男に組み付き倒し、その額に槍の穂先を突きつけた。 投げ出されたザンが、頭から落ちて動かなくなる。 「武器を捨てろ!!」 女王の一声。 兵士達は、時が止まったように動きを止めた。 「・・・・」 人質になった島長は、何も言わない。 尖った穂先を寄り目で見つめている。 鷲鼻を伝って汗が一筋流れ落ち、鳶色の髭に滲み込んだ。 「・・・おい」 ひとまず剣を下ろしたクレイは、周りの軍艦を見回した。 何だか危険な空気だ。弓兵達が船縁に立ち、弓に矢を番える。 敵の将軍を捕らえれば降伏してくれると思っていたのだが、考えが甘かっただろうか? 「・・・・」 ジァヴもクレイと同じものを感じ取り、きゅっと眉を寄せる。 この艦に乗っているのは、ナギ島の民だ。彼らにとっては、島長の命は盾になるだろう。 だが、他の島々の者達は、ニーツァイセンが殺されようと何の痛痒も感じない。むしろ、死んで欲しいと思っているかもしれない。協定を破ってシノアを手に入れようとした男だ。 「ニーツァイセン。指示を出しなさい」 ジァヴは、ゆっくりと言った。 「・・・・」 島長は慄いていたが、どうやら助かる道がないと分かると、落ち着いた声を出した。 「無理だ、女王どの。奴らは私の言うことを聞かん。あなたの勇気は大したものだが、それを見せるのが少しばかり遅かったな」 「・・と・・さん」 ジァヴは、意識して何もなかったふりをした。 ザンが目を覚ました。大丈夫なのだろうか。 「沖を・・見て下さい。霧が晴れます」 ジァヴは、槍を握ったまま視線を上げた。 風が流れ、霧の割れ目を作り出す。 連合軍の兵士達も、唖然として沖を見る。 そこにいたのは、ガレー船百隻から成る艦隊だった。帆には、シノア王国の鷲と、ハルスター王国の海燕。 「スイヴナ・・あの野郎・・」 ジァヴは、ニーツァイセンが楽観的な誤解をしていないことを確認して、彼を解放した。 それでも、誰も動かない。 「まったく・・」 ジァヴは覆面を脱ぎ捨て、顔を出した。 血に塗れてもなお脂を巻かず、異常に美しい短槍を、高く掲げる。 クレイの剣ほどあからさまではないが、やはりこの槍も普通ではない。日光に掲げると、鷲の刻印がはっきりと浮き上がって金色に輝いた。 艦隊から、十六の輝きが返って来る。 「どうしますか、ニーツァイセン?私が指示を出せば、シノア・ハルスターの同盟軍が、琺夜軍と協力してあなた達を挟み撃ちにすることもできます」 「―――っ・・!」 ニーツァイセンは、「裏切り者」と口を動かした。だが、ジァヴの冷ややかな瞳を一目覗き込み、がっくりと項垂れる。 ジァヴは、双牙連合軍の思惑を知っている。とどのつまり、お互い様だ。それを否定してジァヴを責められるほど、彼は恥知らずではなかった。 「・・・全ての船を引き揚げよう。今回のことで、連合は見事に破綻した。しばらくは、あなたの国に手を出すこともできまい。それでいいな、女王どの?」 ニーツァイセンは、ぎこちない笑顔で敬礼した。ここまで完膚なきまでに敗けてしまうと、いっそ気持ちがいいと言わんばかりに。 「ありがとう」 礼を言ったジァヴの顔に、笑みはなかった。 「・・終わったようだな」 王は、目から双眼鏡を離した。 「そうですね。何とか無事に」 翡 ![]() 「化物二人の、夢の競演がね」 サレアは、双眼鏡と一緒に抱き寄せていた弩兵大隊の誰かを放り捨てた。 少しだけ俯いて物思いに耽っていた王は、すぐに何かを決意して、目を上げる。 「・・確か、将軍のポストが二つ空いていたな?」 「おめでとうございます、陛下。これで見事、人手不足解消ですわ」 「え?あとの一人は?」 「これは一番最後の手段だったのに・・こんな命令だけ聞いてくれるなんて。何て家臣達かしら、本当に・・」 ジァヴがぶつぶつ言っていると、青い顔をしたザンが側に這いずって来た。 「ジァヴ様・・」 ジァヴは友軍を見つめていた。 十六人の、“王の盾”。 今のところ、自分に動かせる部下はそれだけだ。何てちっぽけな戦力だろう。 それでも、彼らは連合から仲間外れにされたスイヴナを味方につけることができた。得たものはささやかだけれど、自分の戦いにけりをつけることができた。 「・・『戦の目的は、勝つことだけではない。より良い条件で負けることも、また一つの道だ』。覚えてる?ザン」 ザンの驚いた顔を見下ろし、ジァヴは自嘲的な笑みを浮かべる。 「セルズの支配を受け入れた父上の、持論よ。この言葉も、正しかったんだわ。父上は、琺夜との戦いから逃げていたんじゃなくて、負け際を誤ったのかもしれないわね。琺夜の王が私を欲しがっていたなんて、まさか知らなかったでしょうから」 「・・・・」 うーんと伸びをして、ジァヴは空に顔を向けたまま朗らかに笑う。 そこにはまた、新しい虹が出ていた。今度は一重の。 「呆れたでしょう?ザン。あなたが私を助けようとしてくれている時、私はあなたを利用して、裏切ることを考えていたの。もし双牙の連合軍が負けてしまったら、シノアだけは琺夜の味方だってふりをするつもりだったのよ。私って、とんでもない女でしょう?」 ザンは、何も言わなかった。 傷つかなかった訳ではない。 自分の想いを踏み躙られたと感じなかった訳ではない。 それでも、ジァヴは精一杯で。 選ばざるを得なかった選択肢を、堂々と自分の選んだ道だと言い切る彼女が、堪らなく哀しくて・・眩しくて。 愛おしくて。 「琺夜国王の元に・・行くのですね?」 やっとそう訊いた時には、ジァヴはもう涙を拭い去っていた。 泣き顔のまま、それでも笑っている。 「私、強い男が好きだったみたい。正直、リズクってちょっと物足りなかったの。彼とは、きっとうまくやれるわ。あは!でも、今頃、彼の方が愛想を尽かしてるかもしれないわね。私って、“ジェイド”だもの・・」 「――――」 気がつけばザンは、ジァヴを抱き締めていた。 腕の中で、小柄な体が大きく震える。 「・・ザン?」 「あなたは、最高の女性です」 一生に一度の思い出に、思い切って唇を奪ってしまおうかとも思った。きっと、ジァヴは拒まないだろう。 「・・・・」 迷ったザンは結局、ジァヴの頬に口づけた。 「さようなら。ご武運を・・ジァヴ様」 「ザン・・」 「おーい!ジァヴ様!船がどんどん港から離れてくんだが、どーすんだ?」 もう体は離していたが、ザンと手を繋いだままだったジァヴは、慌てて振り解いてクレイに向き直る。 そして、 「・・あなたは何をしているのですか?」 ジァヴは、本日何度目かの偏頭痛を感じた。 クレイは、何を当たり前の質問をするんだと言いたげに片方の眉を上げる。 「戻るのに船が要るだろう。ちょっとそこらへんの海兵を脅して、貰って来たんだ」 小船が必要なのは確かだ。その行動は、間違ってはいない。 だが、『訊いているのはそんなことじゃない』と、声を大にして言いたかった。 手に入れた小船を、この男は何だって肩に担いで持ち上げているのだ!? 「一緒に来るだろ?いや、そこらの海兵さん達の気が変わって、船を取り返したくなる前に、さっさと戻りたいんだ。流石にもう攻撃して来ねぇとは思うが」 ジァヴは、もし言葉が自由に操れるのなら、突っ込みたくて堪らなかった。 誰が、小船を片手で持ち上げているような馬鹿力の馬鹿野郎から船を取り返したいと思うものか。 もう攻撃して来ないだろう?それはそうだろう。兵士達の誰もが頭を抱えて物陰から尻を突き出し、隠れる場所がない者は、青い顔で祈りを唱えている。 一体、彼らが誰に怯えていると思っているのだ? 自分自身も彼らの恐怖の一因であることは、ジァヴは都合良く棚に上げた。 「・・すぐに、私も行きます」 ジァヴは、ザンを振り返らなかった。 胸に固い決意を秘めて、大股でクレイに歩み寄る。 やるべきことは山ほどあるが、何よりもまず必要な言語の勉強をしよう、と。 第11章に続く |
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