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第3章 Cailleadh 〜喪失〜
流れるように景色が通り過ぎる。ジァヴは瞬きもせずに、いつまでも近くならない城を睨みつけていた。 細い鞭で尻を叩かれ、ジァヴを乗せた白馬は全速力で城に向かって駆けている。 主がこんな無茶をさせることが信じられないのか、ホーエンクルータは何度も速度を落としては、掠れた鳴き声を上げた。 「お願いホーエンクルータ!!頑張って!!」 ジァヴは愛馬に無理を強いていることに気付いていたが、休ませてやる訳にはいかなかった。 渡り鳥のように大きな群れを成した翼馬達が次々と都に舞い降りる。優美でさえある、統率の取れたその軍隊に、シノアの軍が太刀打ちできないことは、既に分かり過ぎる程にも分かっている。 シノア王国は負ける。 美しい都は破壊され、蓄えた財は略奪され、民は皆奴隷にされる―― (いやっ!許さない!!そんなこと絶対に許さない!!) ジァヴがかっと目を見開いた時、風の音が聞こえた。 肌に当たる風とは違う、どこから吹いて来るのか分からない風が耳元で唸りを上げている。 (・・追い風!) ほとんど知覚しないままに、ジァヴはその風を捉え、流れの中心に馬を滑り込ませた。 髪が顔の前に舞う。 背中いっぱいに風圧を受け、一気に速度が上がる。 「行って!!」 疲れきっていた筈のジァヴの馬は、後ろから懸命に追っていたザンが呆気に取られるような速さで飛び出した。 シノアの都は戦場と化していた。火の手は上がっていないが、慌てて対陣を組んだシノアの軍隊と琺夜の空騎兵が激突している。 数の上では、シノア軍の圧倒的有利。とは言え、始まったばかりの戦闘は瞬く間に収束しつつあった。 城を守りつつ空からの攻撃を迎え討つよう、縦列に展開したシノア軍の側面を、崩壊した城壁から雪崩れ込んだ琺夜の戦車隊が横撃する。 全く予期せぬ来襲に何の準備もしていなかったシノア軍は、戦っても惨殺されるだけだと分かると、碌に剣を交えもせずに潰走した。 少数の戦車隊が突き崩したシノア軍の防御の穴から、先頭をX字に組んだ琺夜の歩兵隊が突入する。 間もなく、城門が破られた。 「腰抜けどもが!」 ライカンは絶命した将軍の細い体から戦斧を引き抜き、周りを取り囲むばかりの敵兵をぐるりと見回した。 「てめえらの主が討ち取られて度胸の一つも見せやせん!仇を取りてえ奴ぁおらんのか!?」 ライカンの大音声に、若い兵士の何人かが悲鳴を上げた。 ライカンは既にその戦斧で、シノアの歩兵を数え切れない程惨殺している。血と脂に塗れた野獣のようなこの男に、誰もが闘志を根こそぎ奪われていた。 「降伏せよシノア軍!武器を捨てた者の命は保障する!」 ライカンが余計な事を言い出して彼らを追い詰めない内に、クレイはこの時の為に覚えたクリシュエール語でそう呼び掛けた。予想通り、兵士達は一瞬顔を見合わせた後、あっさり武装解除する。 「クレイ!何を言うか!?こいつらてめえらの同胞を何だと思って・・」 「うるせえよライカン!!ガキの喧嘩じゃねえんだぞ!!」 怒鳴り返して、クレイは頭痛を感じた。 死が逃れられないとなると、どんな腰抜けでも必死で反撃してくる。そうなればこちらにも犠牲が出るだろう。できる限り味方の死者を少なく勝利を収めることが第一。敵だって皆殺してしまっては、身代金が取れないではないか。ライカンも分かっているだろうに、すっかり戦いに酔ってしまっている。 「こっちは終わったぞ。ニール将軍は討ち取った。軍はほとんど無傷で降伏。お前の方も終わりみたいだな」 「誰ぞが横槍入れよったからな!」 顎と鼻先の刀傷をぼりぼりと掻いたライカンは、景気づけに傷をつけてくれた将軍の首を落とそうとした。が、死体がクレイとそう変わらない、年若い青年であることに気付いて、ぼさぼさの眉を寄せた。 瞠ったままの菫色の瞳は大人の男だが、頬の辺りにどこか幼さを留めている。 「・・オシアン王子だな。手柄じゃないか」 クレイが感情のない声で言った。 「このガキだけよ。儂に正面から挑んで来たのはなぁ。腕はまあそれなりじゃが、若いのになかなかいい芯持っとった・・王子様たぁ思わなんだが」 ライカンの賞賛を聞いて、クレイはさっき手に掛けた少年のことを思い出した。 ――ジァヴには指一本触れさせない!!お前達なんかに・・ ぽちゃっとした可愛らしい顔を懸命に厳つくして、確かそんな事を言っていたか。 スノウリェンヌ語を知っていたから、おそらく貴族だろう。 剣の持ち方も踏み込みもまるでなっていない素人だったが、彼は強かった。 腕を斬り裂いても、足を砕いても、最期の時まで立ちはだかり、剣を手放そうとはしなかった。 (ジァヴ・・ね) 確か、クリシュエールの伝説に登場する女戦士の名。そして、シノアの資本を支えている宝石の名でもある。 彼の信念を笑うつもりはないが、たかが宝石の採掘権を守る為に命を落とすとは。 そのたかが宝石を得る為にクレイ達はこの国の平和を奪ったのだから、そんな事を考える資格もないのだが。 (それにしても、随分降参するのが早いな) ライカンがまだぶちぶち言っているが、戦わずして降伏してくれるのは好都合だ。 (クリシュエール地方の諸国はセルズの支配から解放されたばかりで緩んでいる。元々シノア王国の体質は日和見主義だ。大軍で攻め入られたら短時間で降伏するのは必至・・陛下の仰る通りだな) クレイは上空を見上げた。遥か高みに、王を乗せた翼馬が舞っている。 (ライカンの監視にでもいらしたのか?) 王の考えは深く、読めないことが多いが、結局彼の手を煩わせるまでもなく終わりそうだ。何故わざわざここまでやって来たのか・・ 「・・Cá bhfuil Ridsk?」 クレイはびっくりした。 戦死者や負傷者の転がっている戦場を、白い馬に乗った少女がやって来る。右手に、玩具のような槍を持って。 「Cá bhfuil séanois!?」 少女はクレイを睨んでいる。 首を傾げて何を言っているのか分からない、というジェスチャーをすると、その少女は、たどたどしい世界標準語で話しかけてきた。 「あなたが・・そでの、ブローチは、リズクのもの。ハルスター島の執政官スイヴナの息子リズク。彼はどこに?」 クレイは、少女が震えているのを見て、剣先を下ろした。 敵を斃した証拠として、マントを留めていたブローチを袖につけておいたのだ。 こんな小さな留め金を真っ先に見つけるとは、彼女はあの少年の家族か、あるいは恋人だったのだろう。 「・・私はヂェルスベルクの公爵アイヴァースの息子、クレイ・フェオ=ユーン。お嬢さん、このブローチの持ち主は、私がこの手にかけた。儀礼に従い、遺体は彼のマントで覆ってある」 少女は、戦死者の布包みが並ぶ場所にさっと視線を走らせた。 すぐに、装飾の凝った細い剣を胸に乗せ、灰色のマントに包まった小柄な遺体に目を留める。蒼ざめた表情が凍りついたようになった。 クレイは、少女が泣き崩れるのかと思った。 が、彼女は唇を噛み、槍を握り締め、ゆっくりとこちらに視線を戻す。 「シノアに女の兵がいたとは知らなんだな。・・なかなか見目良い女じゃないか」 突然、割り込んだ声。 クレイは、ライカンが品定めをするようにその少女を見ているのに気づいた。 「ライカン!!貴様、市民に狼藉は・・」 ライカンはうんざりしてクレイの顔を見たが、とりあえず年若い親友の目に輝く高潔さを踏み躙る気はなかった。琺夜の将軍になったからには、何をやるにもお上品な奴らのやり方に妥協せねばならないのだ。 「市民だと?」 元盗賊が、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。 「じゃあ、あの女が持っとるのは何だ?麦藁か?おい女!儂は玲瓏影帝の将軍ライカンだ!儂と決闘しろ。儂が勝ったらお前を貰う。お前が勝てば、儂の首を持っていけ」 「なっ!!」 クレイはライカンを睨みつけた。 戦士にとって、“決闘の誓い”は法よりも重い約束だ。 少女がこの決闘を受けて負ければ、ライカンが彼女に何をしようとも許されることになる。 「・・わかりました」 少女が答えると、ライカンはにんまりと笑い、戦斧で慣れない敬礼をした。 「やめろライカン!!彼女は頭に血が上っているんだ!自分で何を言ってるのか分かっちゃいない!!」 「わたしは、シュリトゥーハルの・・ジァヴ。シノア王クローハルと王妃イーファの娘。その挑戦、受けます」 少女は、まるで子供の練習用の槍に穂先をつけただけのような、貧相な武器で返礼する。 二人の間に入ろうとしたクレイは、ライカンに見つめられて留まった。 双方合意の上で決闘が始まった以上、勝負がつくまで邪魔は許されない。 ライカンは、これから自分のものになる女をできるだけ傷つけずに捕らえたかったのだろう。 馬をぶつけて斧で槍を押さえ込み、左拳で顔面を殴りつけた時に、勝利を確信していただろう。 完全な油断。そして、甘く見ていた。 恋人を奪われた乙女の嘆きを。祖国を踏み躙られた王女の怒りを。 何より、ジァヴ・ニ・シュリトゥーハルという女のことを。 ジァヴの闘志は、殴られたぐらいでは到底挫かれなかったのだ。 ジァヴは、髪を掴んで落馬させようとする男の左腋が空くのを冷静に見ていた。 そして、既に反撃はないものと侮って、敵が斧を持つ右手に注意を払っていないことにも気づいた。 両手で槍を持ち、狙いを定め、胸当ての下から上に向かって突き込んだ。 最初の衝撃で敵は斧を手放し、次にジァヴをもぎ放そうと無茶苦茶に暴れ出す。 殴られて、骨が折れる音がしても、髪の毛を一束引き毟られても、ジァヴは槍から手を放さなかった。 非力な腕では一度に決めることはできなかったが、このまま上に槍を突き続ければやがて心臓に辿りつく。そんな冷ややかな確信があった。 「・・・・」 クレイは目を瞠り、熊のように大柄な戦士の体が少女に被さり、動かなくなるのを見つめていた。 やがて、血塗れになった少女がライカンを押し退けて、顔を上げた。 支えを失ったライカンは落馬し、二度と起き上がらなかった。 「・・ライ、カン・・」 勝負が、ついた。 少女は馬を降り、近くで死んでいる男に近付いた。 さっきライカンが殺した王子だ。その手から、シュリトゥーハル家の古い紋章がついた槍を抜き取る。 「待て」 呼ぶと、血を滴らせた少女が振り返る。 「それを置け。その男はライカンが倒した。それはライカンのものだ」 「・・その人、私が殺しました。だから、私のもの」 「あんたはそんな誓いをしていない。あんたにその槍を持つ権利はない」 言い掛かりだ。 クレイは、自分でそう分かっていた。 ライカンは決闘で命を落とした。 少女にとっては、挑まれた戦い、避けられぬ戦いだった。 浅ましい真似はやめろと頭の中で叫ぶ声が聞こえるが、クレイは抑えられなかった。 別の声が、友の仇をとれ、あの女を斬り殺せと言っている。 「それを置け。さもなくば、俺がおまえを斬る」 クレイは剣を抜いた。たとえ彼女が槍を置いても、血を浴びるまで鞘に納まりそうにはない。 「彼は私の兄です」 クレイは一瞬たじろいだが、剣先が下がることはない。 どこを見ているか分からない、虚ろな目をしたジァヴが、笑った。 菫色の瞳を鮮やかに輝かせ、壮絶な歓声を上げて。 「Laochra!Gur i siochán a bhéas sé!いいでしょう。私もあなたの命が欲しい!ジァヴ・ニ・シュリトゥーハルの名に懸けて、夫の、仇を討ちます!!」 ジァヴが王家の槍を構え、突っ込んで来る。 クレイは思い出した。自分が殺したあの少年が、死の間際に叫んでいた名を。 ジァヴ・・とは、この少女。あの少年が夫。 つまり―― 「知ったことか!!」 クレイは、彼女に殺された友のことを、それだけを考えた。他の全てを頭から追い出し、馬鹿正直に突進して来る少女を肩口から叩き斬ろうと剣を振り下ろす。 自分の行動を正義だと疑わないジァヴは、クレイより遥かに冷静だった。 感情的に突っ走るように見せかけて肉薄し、敵の得物が振り下ろされる瞬間を捉えて軽く身を躱す。 クレイの持つ重量のある大剣は、攻撃のパターンが限られている。 振り下ろすにしろ薙ぎ払うにしろ、決まれば一撃必殺の破壊力を持つが、避けられたからといって途中で攻撃の軌道修正が効き難い。 クレイは、ジァヴが横に退いたのを目では追っていたが、空を切った剣は土埃を撥ね上げて地面にめり込んだ。 その隙に、ジァヴは左脇に半回転しながら、クレイの背中に回る。 背中から心臓を一突きされればおしまい。 ぞっとしたクレイは、剣を手放し、地面に転がっていた小石を、股を潜らせて投げた。 石礫はジァヴの小指の節に当たり、彼女を一瞬怯ませる。 すかさず埋まった剣を引き抜いて、跳ぶように距離を取る。 ぼっ! 間一髪だった。 槍の刺突が体に届かないすれすれで、動きについて来そびれたマントに大きな穴が開く。 「・・はっ、はぁ・・」 ジァヴが肩で息をしている。今の突きで立て続けに攻められるとかなりまずいが、自分から間合いを詰めようとしない。ライカンとの戦いで、かなり疲れているらしい。 相手は小柄な分、速くて小回りが利くが、体力はない。 懐に入られないように突きを避けながら、長期戦に持ち込むか・・ 戦法を考えながら、クレイは、軽くマントを持ち上げた。 「―――!」 そして、見た。花のような形に、等間隔で開いた五つの穴を。 (あの時・・五回突いたのか?) 全身が氷のように冷たくなった。 剣の使い手が槍の使い手と一対一で戦って勝つには、三倍の技量が必要だと言う。 状況次第でそんなものはいくらでも覆せるが、ここは開けた場所で、相手はコマネズミのようにくるくる動ける小柄な敵。更に、今更自分から逃げられない。槍使いにとって不利な条件は、何もない。 彼女の三倍・・と考えて、クレイは歯を喰いしばった。 互角ですら、ないだろう。 (・・長期戦だと!?凌ぎ切れるか?) こうしている間にも、ジァヴの呼吸は静かになってくる・・と思った時、彼女が動いた。 「っ」 軽く、挑発するような突き。 焦ったクレイは、こんな簡単なフェイントに乗ってしまった。 槍を受けようと剣を振り上げた時、すっ・・とジァヴの頭が沈んだ。 しまった、と思う間もなく、右膝の裏に焼けるような痛みを感じる。 脚の腱を斬られて崩れ落ちるように倒れたクレイは、瞬間、ジァヴの顔を見た。 上げようとした右手が、長靴に踏み付けられて止まる。短槍の狙いは肉の薄い首の急所につけられている。 じゅうっ!!!! フライパンに放り込まれたベーコンのような、音。 クレイの顔に血が飛び散り、目の前に青い花がふわりと咲いた。 思考が混乱する。 一度開いた花はすぐに萎んで、顔の上を通り過ぎた。そこにあるのは、青い空と、黒い布。 そこで、ようやく思い当たる。マントの裏地を見ていたのだ。 「こういう勝負に水を注すのは、非常に不本意だが・・」 「陛下・・・琅珂!?」 群青色の裏地を張った黒いマントの一部が、テントのように盛り上がっているのを見て、クレイは吼えた。 が、よく見ると、ジァヴの槍は彼の体を貫いてはいない。 王はちらりと振り返り、クレイを見下ろした。 「決闘の誓いは口にしなかったな。文句は言うなよ、フェオ」 「・・っ!」 敵の力が緩んだ時、ジァヴは槍を奪い返して後ろに飛んだ。 上空から急降下していた王の翼馬が、ジァヴの髪の毛を吹き散らしてまた高みへと昇って行く。 「・・・・」 もう死んだ気でいたクレイは、生きていることが納得いかず、ぱちぱちと目を瞬いた。 死に損なったこともそうだが、まさか王に助けられるとは。 王の細い右腕からは服の切れ端が垂れ下がり、血が滴り落ちている。槍を握っていた掌は、真っ赤。擦り傷と火傷で肉がささくれ立っている。 「見極めの甘さは致し方あるまい。が、ライカンの死は自業自得だ。貴様ともあろう者が、己の心に恥じるような戦いをするな」 聞き慣れた、綺麗なボーイソプラノ。友の死に様を貶されたクレイは、熱い怒りを感じた。 ライカンは、時には倫理に悖る行動もしでかしたが、いい奴だった。真っ直ぐな気性を持った男だった。 「・・部下が死んで何とも思わねえなら、俺のことも放っときゃ良かったんだ」 王が舌打ちした。 「余に、一度に二人もの将軍を失えと?」 クレイは唇を尖らせて横を向いた。 「・・死ぬかよ」 「・・・・」 美しいが、禍々しい感じのする少年を見つめ、ジァヴは後退った。 黒い服を着た小柄な男。想像していたのとは違うが、まさかこいつが・・ 「Cad is ainm duit・・?」 思わず、クリシュエール語で問いかけてしまう。が、世界標準語で言い直す前に、答えが返ってきた。 「Mise Rouga an Ri Hoja.An tú Clann Slituahail?」 相手の名乗りを聞いて、ジァヴの全身の毛が逆立った。 「・・あなたが全ての元凶なのね、くそったれ。ちびの悪魔め!」 琺夜王が柳眉を顰めるのを見て、ジァヴは暗い悦びを覚えた。 相手がクリシュエール語を理解できるのが嬉しかった。思うさま罵ってやることができる。世界標準語を話せない訳ではないが、家庭教師は上品な言葉しか教えてくれなかった。 「余を恨むか?ジァヴ殿。今日のことはとうに予見していたと思うたが」 ジァヴは悔しくて泣きそうになった。分かっていたのに、何もできなかった・・ 「・・ええ、分かっていたわ。セルズとの戦いを目標としているあなたにとって、シノアの攻略は、セルズの弱体化とあなたの実力を近隣諸国に知らしめるという二つの意味を持つ。服従を拒んで独立を望む私達を徹底的に打ち砕くことで、態度を決め兼ねている諸国の旗色を鮮明にさせることが狙いなのでしょう!? ――今はっきり思い知ったわ!!この『西』で、私達はあまりに弱い小鹿だってことが!一度食いついた狼がその牙から解放してくれたとしたら、もっと恐ろしい豹が現れたからよ!小鹿は狼の牙から逃れて豹に食べられるんだわ!」 王が感心したように目を丸くしたのを見て、こんな時だというのに、ジァヴの心が浮き立った。それは、一瞬だったけれど。 「・・ジァヴ殿よ、セルズ人の言う“ジェイド”とはそなただな?小鹿の群れに一つだけ鷲の卵が潜んでいると聞いたことがある。・・クレオナントの眼識も、それほど鈍ってはいないようだ」 ジァヴは眉間の皺を深くした。 シュリトゥーハル家の紋章を飾る聖獣は、古来より黄金の鷲だった。これをセルズのベルゼゲル王に取り上げられて、以来、シノア王家は小鹿の紋章を持つことになったのだが。この男は何を言っているのだろう? ジァヴは、一年後に政略結婚する予定があるだけの、ただの王女だ。女らしい淑やかさは言うに及ばず、美貌で名を馳せるほどの美人でもない。 自分のことが他の国に知られているなどということが、あるのだろうか? 戸惑いに気づいたのだろう、王がくすりと笑った。 「敵の方が、その人間の危険性をより正確に知っているものだ。我らやセルズの者らにすれば、そなたは我らと対等の勢力を育てるやも知れぬ不穏分子。なればこそ、余もガシュクジュールの制圧を後にして先にこちらを攻めたのだ。鷲の卵が孵る前に」 戦争を起こした原因が自分にあると言われて、ジァヴは真っ青になった。 ひどい・・ひどい言い掛かりだ。 (でも・・) 怒りに震えつつも、心のどこかにたまらなく誇らしい気持ちがあるのはどうしてだろう・・ 「戦いは終わった。槍を下ろせ、ジァヴ女王」 世界標準語で、王が言った。他の者達にも聞かせるように、大声で。 (じょおー?・・じょおぅ・・女王?) ジァヴは、王が言い間違えたのかと思った。 だが、自分が“女王”と呼ばれるとはどういうことかと考え・・戦慄する。 既に、兄の死は見届けた。 首の骨がどうにかなりそうな勢いで城を振り向いたジァヴは、見晴らしのいい城門の上から、首に縄をつけてぶら下がっている人影を見つけた。 父、クローハルの。 からん・・ 乾いた音で、短槍が転がった。 「お、おぁあ・・うわああああああああああああっ!!!!」 泣き叫び、地面に頽れる。 いつまで、悪夢がつづくのだろう。 いつになったら、わたしはめがさめるのだろう・・ (やめて!!お願い・・もうやめてぇっ!!) 壊れかけたジァヴに向かって、王は残酷に話を続けた。 「王妃イーファ殿は、余の兵士を一人道連れに城のバルコニーから飛び降りた。今、シノアの王はそなただ」 「・・・・」 咽び泣くジァヴ、淡々と肉親の死を告げる王を見つめるクレイは、堪えきれずに下を向いた。 王の行い、自分の行いの醜さに、吐き気がした。 傷ついた脚を庇いながら、左足に体重をかけてよろよろと立ち上がる。 「あぁ・・」 しばらく泣いた後、ジァヴは立ち上がった。手が白くなるほど強く、短槍を握って。 穂先が、きっぱりと王に向く。 兄の形見は、王家の宝。爪を振り立て、羽を広げた鷲の模様が刻まれた、シノアの王位継承者の証。 「琺夜の琅珂!シノアのジァヴがあなたに決闘を申し込みます!!私が勝ったら、琺夜族はこの国から出て行きなさい!!」 王が肩を竦めた。 「そなたは、女王にしては心が温か過ぎるようだな。・・まあいい。そなたが勝てば、向こう十年琺夜はシノアを侵略しないと誓おう。ああ、余を殺しても問題はないぞ。ここに証人がいるからな」 指を差されて、クレイは臍を噛んだ。 またしても、二人の戦いを邪魔する訳にいかなくなった。 「余が勝てば・・そうだな」 王の、左右異色の目が鈍く輝いた。右腰の太刀に左手を翳し、腰を低く落とす。 「条件は、ライカンと同じでいい」 第4章に続く |
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