第3章 Cailleadh 〜喪失〜

 流れるように景色が通り過ぎる。ジァヴはまばたきもせずに、いつまでも近くならないカシュリンを睨みつけていた。

 細いむちで尻を叩かれ、ジァヴを乗せた白馬は全速力でカシュリンに向かって駆けている。

 主がこんな無茶をさせることが信じられないのか、ホーエンクルータは何度も速度を落としては、かすれた鳴き声を上げた。

 「お願いホーエンクルータ!!頑張って!!」

 ジァヴは愛馬に無理をいていることに気付いていたが、休ませてやる訳にはいかなかった。

 渡り鳥のように大きな群れを成した翼馬よくば達が次々と都に舞い降りる。優美でさえある、統率とうそつの取れたその軍隊に、シノアの軍が太刀打たちうちできないことは、既に分かり過ぎる程にも分かっている。

 シノア王国は負ける。

 美しい都は破壊され、たくわえた財は略奪りゃくだつされ、民は皆奴隷どれいにされる――

 (いやっ!許さない!!そんなこと絶対に許さない!!)

 ジァヴがかっと目を見開いた時、風の音が聞こえた。

 肌に当たる風とは違う、どこから吹いて来るのか分からない風が耳元でうなりを上げている。

 (・・追い風!)

 ほとんど知覚しないままに、ジァヴはその風をとらえ、流れの中心に馬を滑り込ませた。

 髪が顔の前に舞う。

 背中いっぱいに風圧を受け、一気に速度が上がる。

 「行って!!」

 疲れきっていた筈のジァヴの馬は、後ろから懸命に追っていたザンが呆気あっけに取られるような速さで飛び出した。



 シノアの都は戦場と化していた。火の手は上がっていないが、慌てて対陣たいじんを組んだシノアの軍隊と琺夜ほうや空騎兵シュヴァリーラルが激突している。

 数の上では、シノア軍の圧倒的有利。とは言え、始まったばかりの戦闘は瞬く間に収束しゅうそくしつつあった。

 城を守りつつ空からの攻撃をむかつよう、縦列じゅうれつに展開したシノア軍の側面を、崩壊ほうかいした城壁から雪崩なだれ込んだ琺夜の戦車隊が横撃おうげきする。

 全く予期せぬ来襲らいしゅうに何の準備もしていなかったシノア軍は、戦っても惨殺ざんさつされるだけだと分かると、ろくに剣をまじえもせずに潰走かいそうした。

 少数の戦車隊がくずしたシノア軍の防御の穴から、先頭をX字に組んだ琺夜の歩兵隊が突入とつにゅうする。

 間もなく、城門が破られた。



 「腰抜けどもが!」

 ライカンは絶命ぜつめいした将軍の細い体から戦斧せんぷを引き抜き、周りを取り囲むばかりの敵兵をぐるりと見回した。

 「てめえらの主が討ち取られて度胸どきょうの一つも見せやせん!かたきを取りてえ奴ぁおらんのか!?」

 ライカンの大音声だいおんじょうに、若い兵士の何人かが悲鳴を上げた。

 ライカンは既にその戦斧せんぷで、シノアの歩兵を数え切れない程惨殺ざんさつしている。血とあぶらまみれた野獣のようなこの男に、誰もが闘志とうしを根こそぎ奪われていた。

 「降伏せよシノア軍!武器を捨てた者の命は保障する!」

 ライカンが余計な事を言い出して彼らを追い詰めない内に、クレイはこの時の為に覚えたクリシュエール語でそう呼び掛けた。予想通り、兵士達は一瞬顔を見合わせた後、あっさり武装解除ぶそうかいじょする。

 「クレイ!何を言うか!?こいつらてめえらの同胞どうほうを何だと思って・・」

 「うるせえよライカン!!ガキの喧嘩ケンカじゃねえんだぞ!!」

 怒鳴り返して、クレイは頭痛を感じた。

 死がのがれられないとなると、どんな腰抜けでも必死で反撃してくる。そうなればこちらにも犠牲ぎせいが出るだろう。できる限り味方の死者を少なく勝利を収めることが第一。敵だって皆殺してしまっては、身代金が取れないではないか。ライカンも分かっているだろうに、すっかり戦いにってしまっている。

 「こっちは終わったぞ。ニール将軍は討ち取った。軍はほとんど無傷で降伏。お前の方も終わりみたいだな」

 「誰ぞが横槍よこやり入れよったからな!」

 あごと鼻先の刀傷かたなきずをぼりぼりといたライカンは、景気けいきづけに傷をつけてくれた将軍の首を落とそうとした。が、死体がクレイとそう変わらない、年若い青年であることに気付いて、ぼさぼさの眉を寄せた。

 みはったままのすみれ色の瞳は大人の男だが、ほおの辺りにどこか幼さをとどめている。

 「・・オシアン王子だな。手柄てがらじゃないか」

 クレイが感情のない声で言った。

 「このガキだけよ。儂に正面からいどんで来たのはなぁ。腕はまあそれなりじゃが、若いのになかなかいいしん持っとった・・王子様たぁ思わなんだが」

 ライカンの賞賛しょうさんを聞いて、クレイはさっき手に掛けた少年のことを思い出した。

 ――ジァヴには指一本触れさせない!!お前達なんかに・・

 ぽちゃっとした可愛らしい顔を懸命にいかつくして、確かそんな事を言っていたか。

 スノウリェンヌ語を知っていたから、おそらく貴族だろう。

 剣の持ち方も踏み込みもまるでなっていない素人しろうとだったが、彼は強かった。

 腕を斬り裂いても、足を砕いても、最期さいごの時まで立ちはだかり、剣を手放そうとはしなかった。

 (ジァヴ・・ね)

 確か、クリシュエールの伝説に登場する女戦士の名。そして、シノアの資本を支えている宝石の名でもある。

 彼の信念しんねんを笑うつもりはないが、たかが宝石の採掘権さいくつけんを守る為に命を落とすとは。

 そのたかが宝石を得る為にクレイ達はこの国の平和を奪ったのだから、そんな事を考える資格もないのだが。

 (それにしても、随分降参ずいぶんこうさんするのが早いな)

 ライカンがまだぶちぶち言っているが、戦わずして降伏してくれるのは好都合だ。

 (クリシュエール地方の諸国はセルズの支配から解放されたばかりでゆるんでいる。元々シノア王国の体質は日和見ひよりみ主義だ。大軍で攻め入られたら短時間で降伏するのは必至ひっし・・陛下のおっしゃる通りだな)

 クレイは上空を見上げた。はるか高みに、王を乗せた翼馬が舞っている。

 (ライカンの監視かんしにでもいらしたのか?)

 王の考えは深く、読めないことが多いが、結局彼の手をわずらわせるまでもなく終わりそうだ。何故わざわざここまでやって来たのか・・



 「・・Cá bhfuil Ridskリズクはどこ?」

 クレイはびっくりした。

 戦死者や負傷者の転がっている戦場を、白い馬に乗った少女がやって来る。右手に、玩具おもちゃのようなやりを持って。

 「Cá bhfuil séanois彼はどこにいるの!?」

 少女はクレイを睨んでいる。

 首をかしげて何を言っているのか分からない、というジェスチャーをすると、その少女は、たどたどしい世界標準語ファブリシスで話しかけてきた。

 「あなたが・・そでの、ブローチは、リズクのもの。ハルスター島の執政官コンスルスイヴナの息子リズク。彼はどこに?」

 クレイは、少女がふるえているのを見て、剣先を下ろした。

 敵をたおした証拠として、マントを留めていたブローチをそでにつけておいたのだ。

 こんな小さな留め金を真っ先に見つけるとは、彼女はあの少年の家族か、あるいは恋人だったのだろう。

 「・・私はヂェルスベルクの公爵デュークアイヴァースの息子、クレイ・フェオ=ユーン。お嬢さんマドモアゼル、このブローチの持ち主は、私がこの手にかけた。儀礼ぎれいに従い、遺体いたいは彼のマントでおおってある」

 少女は、戦死者の布包ぬのづつみが並ぶ場所にさっと視線を走らせた。

 すぐに、装飾そうしょくった細い剣を胸に乗せ、灰色のマントにくるまった小柄な遺体に目を留める。蒼ざめた表情が凍りついたようになった。

 クレイは、少女が泣きくずれるのかと思った。

 が、彼女は唇をみ、槍をにぎり締め、ゆっくりとこちらに視線を戻す。

 「シノアに女の兵がいたとは知らなんだな。・・なかなか見目良みめよい女じゃないか」

 突然、割り込んだ声。

 クレイは、ライカンが品定しなさだめをするようにその少女を見ているのに気づいた。

 「ライカン!!貴様、市民に狼藉ろうぜきは・・」

 ライカンはうんざりしてクレイの顔を見たが、とりあえず年若い親友の目に輝く高潔こうけつさをにじる気はなかった。琺夜の将軍になったからには、何をやるにもお上品な奴らのやり方に妥協だきょうせねばならないのだ。

 「市民だと?」

 元盗賊が、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 「じゃあ、あの女が持っとるのは何だ?麦藁むぎわらか?おい女!儂は玲瓏影帝れいろうえいていの将軍ライカンだ!儂と決闘けっとうしろ。儂が勝ったらお前をもらう。お前が勝てば、儂の首を持っていけ」

 「なっ!!」

 クレイはライカンを睨みつけた。

 戦士にとって、“決闘のちかい”は法よりも重い約束だ。

 少女がこの決闘を受けて負ければ、ライカンが彼女に何をしようとも許されることになる。

 「・・わかりました」

 少女が答えると、ライカンはにんまりと笑い、戦斧せんぷれない敬礼をした。

 「やめろライカン!!彼女は頭に血がのぼっているんだ!自分で何を言ってるのか分かっちゃいない!!」

 「わたしは、シュリトゥーハルの・・ジァヴ。シノア王クローハルと王妃イーファの娘。その挑戦ちょうせん、受けます」

 少女は、まるで子供の練習用の槍に穂先ほさきをつけただけのような、貧相ひんそうな武器で返礼する。

 二人の間に入ろうとしたクレイは、ライカンに見つめられてとどまった。

 双方そうほう合意ごういの上で決闘が始まった以上、勝負がつくまで邪魔じゃまは許されない。



 ライカンは、これから自分のものになる女をできるだけ傷つけずに捕らえたかったのだろう。

 馬をぶつけておのやりを押さえ込み、左こぶしで顔面をなぐりつけた時に、勝利を確信していただろう。

 完全な油断ゆだん。そして、甘く見ていた。

 恋人を奪われた乙女のなげきを。祖国をにじられた王女の怒りを。

 何より、ジァヴ・ニ・シュリトゥーハルという女のことを。

 ジァヴの闘志とうしは、殴られたぐらいでは到底挫とうていくじかれなかったのだ。

 ジァヴは、髪をつかんで落馬させようとする男の左わきが空くのを冷静に見ていた。

 そして、既に反撃はないものとあなどって、敵が斧を持つ右手に注意を払っていないことにも気づいた。

 両手で槍を持ち、ねらいをさだめ、胸当ての下から上に向かってき込んだ。

 最初の衝撃しょうげきで敵は斧を手放し、次にジァヴをもぎ放そうと無茶苦茶にあばれ出す。

 殴られて、骨が折れる音がしても、髪の毛を一束引きむしられても、ジァヴは槍から手を放さなかった。

 非力ひりきな腕では一度に決めることはできなかったが、このまま上に槍を突き続ければやがて心臓に辿たどりつく。そんな冷ややかな確信があった。




 「・・・・」

 クレイは目をみはり、くまのように大柄な戦士の体が少女にかぶさり、動かなくなるのを見つめていた。

 やがて、血塗ちまみれになった少女がライカンを押し退けて、顔を上げた。

 支えを失ったライカンは落馬し、二度と起き上がらなかった。

 「・・ライ、カン・・」

 勝負が、ついた。

 少女は馬を降り、近くで死んでいる男に近付いた。

 さっきライカンが殺した王子だ。その手から、シュリトゥーハル家の古い紋章もんしょうがついた槍を抜き取る。

 「待て」

 呼ぶと、血をしたたらせた少女が振り返る。

 「それを置け。その男はライカンが倒した。それはライカンのものだ」

 「・・その人、私が殺しました。だから、私のもの」

 「あんたはそんなちかいをしていない。あんたにその槍を持つ権利はない」


 言い掛かりだ。

 クレイは、自分でそう分かっていた。

 ライカンは決闘で命を落とした。

 少女にとっては、いどまれた戦い、けられぬ戦いだった。

 あさましい真似はやめろと頭の中で叫ぶ声が聞こえるが、クレイはおさえられなかった。

 別の声が、友のかたきをとれ、あの女を斬り殺せと言っている。

 「それを置け。さもなくば、俺がおまえを斬る」

 クレイは剣を抜いた。たとえ彼女が槍を置いても、血をびるまでさやおさまりそうにはない。

 「彼は私の兄です」

 クレイは一瞬たじろいだが、剣先が下がることはない。

 どこを見ているか分からない、うつろな目をしたジァヴが、笑った。

 すみれ色の瞳をあざやかに輝かせ、壮絶そうぜつ歓声かんせいを上げて。

 「Laochra戦士達よGur i siochán a bhéas sé安らかなれ!いいでしょう。私もあなたの命が欲しい!ジァヴ・ニ・シュリトゥーハルの名に懸けて、夫の、仇を討ちます!!」

 ジァヴが王家の槍を構え、突っ込んで来る。

 クレイは思い出した。自分が殺したあの少年が、死の間際まぎわに叫んでいた名を。

 ジァヴ・・とは、この少女。あの少年が夫。

 つまり――

 「知ったことか!!」

 クレイは、彼女に殺された友のことを、それだけを考えた。他の全てを頭から追い出し、馬鹿正直に突進とっしんして来る少女を肩口かたぐちから叩き斬ろうと剣を振り下ろす。

 自分の行動を正義せいぎだと疑わないジァヴは、クレイよりはるかに冷静れいせいだった。

 感情的に突っ走るように見せかけて肉薄にくはくし、敵の得物えものが振り下ろされる瞬間をとらえて軽く身をかわす。

 クレイの持つ重量のある大剣は、攻撃のパターンが限られている。

 振り下ろすにしろぎ払うにしろ、決まれば一撃必殺の破壊力を持つが、けられたからといって途中で攻撃の軌道きどう修正しゅうせいにくい。

 クレイは、ジァヴが横に退いたのを目では追っていたが、空を切った剣は土埃つちぼこりね上げて地面にめり込んだ。

 そのすきに、ジァヴは左脇に半回転しながら、クレイの背中に回る。

 背中から心臓を一突きされればおしまい。

 ぞっとしたクレイは、剣を手放し、地面に転がっていた小石を、またくぐらせて投げた。

 石つぶてはジァヴの小指のふしに当たり、彼女を一瞬ひるませる。

 すかさずまった剣を引き抜いて、ぶように距離きょりを取る。

 ぼっ!

 間一髪かんいっぱつだった。

 槍の刺突しとつが体に届かないすれすれで、動きについて来そびれたマントに大きな穴が開く。

 「・・はっ、はぁ・・」

 ジァヴが肩で息をしている。今の突きで立て続けにめられるとかなりまずいが、自分から間合いを詰めようとしない。ライカンとの戦いで、かなり疲れているらしい。

 相手は小柄な分、速くて小回りがくが、体力はない。

 ふところに入られないように突きをけながら、長期戦に持ち込むか・・

 戦法を考えながら、クレイは、軽くマントを持ち上げた。

 「―――!」

 そして、見た。花のような形に、等間隔とうかんかくで開いた五つの穴を。

 (あの時・・五回突いたのか?)

 全身が氷のように冷たくなった。

 剣の使い手が槍の使い手と一対一で戦って勝つには、三倍の技量が必要だと言う。

 状況次第でそんなものはいくらでもくつがえせるが、ここは開けた場所で、相手はコマネズミのようにくるくる動ける小柄な敵。更に、今更自分から逃げられない。槍使いにとって不利ふりな条件は、何もない。

 彼女の三倍・・と考えて、クレイは歯を喰いしばった。

 互角ですら、ないだろう。

 (・・長期戦だと!?しのぎ切れるか?)

 こうしている間にも、ジァヴの呼吸は静かになってくる・・と思った時、彼女が動いた。

 「っ」

 軽く、挑発ちょうはつするような突き。

 あせったクレイは、こんな簡単なフェイントに乗ってしまった。

 槍を受けようと剣を振り上げた時、すっ・・とジァヴの頭がしずんだ。

 しまった、と思う間もなく、右ひざの裏に焼けるような痛みを感じる。

 あしけんを斬られて崩れ落ちるように倒れたクレイは、瞬間、ジァヴの顔を見た。

 上げようとした右手が、長靴ちょうかに踏み付けられて止まる。短槍の狙いは肉の薄い首の急所につけられている。



 じゅうっ!!!!

 フライパンに放り込まれたベーコンのような、音。

 クレイの顔に血が飛び散り、目の前に青い花がふわりといた。

 思考が混乱こんらんする。

 一度開いた花はすぐにしぼんで、顔の上を通り過ぎた。そこにあるのは、青い空と、黒い布。

 そこで、ようやく思い当たる。マントの裏地うらじを見ていたのだ。


 「こういう勝負に水をすのは、非常に不本意ふほんいだが・・」


 「陛下・・・琅珂ろうが!?」

 群青ぐんじょう色の裏地をった黒いマントの一部が、テントのように盛り上がっているのを見て、クレイはえた。

 が、よく見ると、ジァヴの槍は彼の体をつらぬいてはいない。

 王はちらりと振り返り、クレイを見下ろした。

 「決闘の誓いは口にしなかったな。文句は言うなよ、フェオ」

 「・・っ!」

 敵の力がゆるんだ時、ジァヴは槍を奪い返して後ろに飛んだ。

 上空から急降下していた王の翼馬よくばが、ジァヴの髪の毛を吹き散らしてまた高みへとのぼって行く。

 「・・・・」

 もう死んだ気でいたクレイは、生きていることが納得なっとくいかず、ぱちぱちと目を瞬いた。

 死にぞこなったこともそうだが、まさか王に助けられるとは。

 王の細い右腕からは服の切れはしれ下がり、血がしたたり落ちている。槍をにぎっていたてのひらは、真っ赤。り傷と火傷やけどで肉がささくれ立っている。

 「見極みきわめの甘さはいたかたあるまい。が、ライカンの死は自業じごう自得じとくだ。貴様ともあろう者が、己の心にじるような戦いをするな」

 聞きれた、綺麗きれいなボーイソプラノ。友の死にざまけなされたクレイは、熱い怒りを感じた。

 ライカンは、時には倫理りんりもとる行動もしでかしたが、いい奴だった。真っ直ぐな気性きしょうを持った男だった。

 「・・部下が死んで何とも思わねえなら、俺のことも放っときゃ良かったんだ」

 王が舌打ちした。

 「余に、一度に二人もの将軍を失えと?」

 クレイはくちびるとがらせて横を向いた。

 「・・死ぬかよ」



 「・・・・」

 美しいが、禍々まがまがしい感じのする少年を見つめ、ジァヴは後退あとずさった。

 黒い服を着た小柄な男。想像していたのとは違うが、まさかこいつが・・

 「Cad is ainm duitお前の名は・・?」

 思わず、クリシュエール語で問いかけてしまう。が、世界標準語ファブリシスで言い直す前に、答えが返ってきた。

 「Mise Rouga an Ri Hoja余は琺夜の王、琅珂An tú Clann Slituahailシュリトゥーハルの王族だな?」

 相手の名乗りを聞いて、ジァヴの全身の毛が逆立さかだった。

 「・・あなたが全ての元凶げんきょうなのね、くそったれ。ちびの悪魔め!」

 琺夜王が柳眉りゅうびひそめるのを見て、ジァヴは暗いよろこびを覚えた。

 相手がクリシュエール語を理解できるのがうれしかった。思うさまののしってやることができる。世界標準語ファブリシスを話せない訳ではないが、家庭教師は上品な言葉しか教えてくれなかった。

 「余をうらむか?ジァヴ殿。今日のことはとうに予見よけんしていたと思うたが」

 ジァヴは悔しくて泣きそうになった。分かっていたのに、何もできなかった・・

 「・・ええ、分かっていたわ。セルズとの戦いを目標としているあなたにとって、シノアの攻略こうりゃくは、セルズの弱体化とあなたの実力を近隣きんりん諸国に知らしめるという二つの意味を持つ。服従ふくじゅうこばんで独立を望む私達を徹底てってい的に打ち砕くことで、態度を決めねている諸国の旗色きしょく鮮明せんめいにさせることがねらいなのでしょう!?
――今はっきり思い知ったわ!!この『西』で、私達はあまりに弱い小鹿こじかだってことが!一度食いついたおおかみがその牙から解放してくれたとしたら、もっと恐ろしいひょうが現れたからよ!小鹿は狼の牙から逃れて豹に食べられるんだわ!」

 王が感心したように目を丸くしたのを見て、こんな時だというのに、ジァヴの心が浮き立った。それは、一瞬だったけれど。

 「・・ジァヴ殿よ、セルズ人の言う“ジェイド”とはそなただな?小鹿の群れに一つだけわしの卵がひそんでいると聞いたことがある。・・クレオナントの眼識がんしきも、それほどにぶってはいないようだ」

 ジァヴは眉間みけんしわを深くした。

 シュリトゥーハル家の紋章もんしょうかざ聖獣せいじゅうは、古来より黄金の鷲だった。これをセルズのベルゼゲル王に取り上げられて、以来、シノア王家は小鹿の紋章を持つことになったのだが。この男は何を言っているのだろう?

 ジァヴは、一年後に政略結婚せいりゃくけっこんする予定があるだけの、ただの王女だ。女らしいしとやかさは言うに及ばず、美貌びぼうで名をせるほどの美人でもない。

 自分のことが他の国に知られているなどということが、あるのだろうか?

 戸惑とまどいに気づいたのだろう、王がくすりと笑った。

 「敵の方が、その人間の危険性をより正確に知っているものだ。我らやセルズの者らにすれば、そなたは我らと対等の勢力を育てるやも知れぬ不穏分子ふおんぶんし。なればこそ、余もガシュクジュールの制圧せいあつを後にして先にこちらを攻めたのだ。鷲の卵がかえる前に」

 戦争を起こした原因が自分にあると言われて、ジァヴは真っ青になった。

 ひどい・・ひどい言い掛かりだ。

 (でも・・)

 怒りにふるえつつも、心のどこかにたまらなくほこらしい気持ちがあるのはどうしてだろう・・

 「戦いは終わった。やりを下ろせ、ジァヴ女王」

 世界標準語ファブリシスで、王が言った。他の者達にも聞かせるように、大声で。

 (じょおー?・・じょおぅ・・女王バンリァン?)

 ジァヴは、王が言い間違えたのかと思った。

 だが、自分が“女王”と呼ばれるとはどういうことかと考え・・戦慄せんりつする。

 既に、兄の死は見届けた。

 首の骨がどうにかなりそうな勢いでカシュリンを振り向いたジァヴは、見晴らしのいい城門の上から、首に縄をつけてぶら下がっている人影を見つけた。

 父、クローハルの。



 からん・・

 かわいた音で、短槍フラメアが転がった。

 「お、おぁあ・・うわああああああああああああっ!!!!」

 泣き叫び、地面にくずおれる。

 いつまで、悪夢がつづくのだろう。

 いつになったら、わたしはめがさめるのだろう・・

 (やめて!!お願い・・もうやめてぇっ!!)

 こわれかけたジァヴに向かって、王は残酷に話を続けた。

 「王妃イーファ殿は、余の兵士を一人道連れに城のバルコニーから飛び降りた。今、シノアの王はそなただ」



 「・・・・」

 むせび泣くジァヴ、淡々と肉親の死を告げる王を見つめるクレイは、こらえきれずに下を向いた。

 王の行い、自分の行いのみにくさに、吐き気がした。

 傷ついた脚をかばいながら、左足に体重をかけてよろよろと立ち上がる。

 「あぁ・・」

 しばらく泣いた後、ジァヴは立ち上がった。手が白くなるほど強く、短槍をにぎって。

 穂先ほさきが、きっぱりと王に向く。

 兄の形見かたみは、王家の宝。爪を振り立て、羽を広げたイオラーの模様が刻まれた、シノアの王位継承けいしょう者のあかし

 「琺夜ほうや琅珂ろうが!シノアのジァヴがあなたに決闘を申し込みます!!私が勝ったら、琺夜族はこの国から出て行きなさい!!」

 王が肩をすくめた。

 「そなたは、女王にしては心が温か過ぎるようだな。・・まあいい。そなたが勝てば、向こう十年琺夜はシノアを侵略しんりゃくしないとちかおう。ああ、余を殺しても問題はないぞ。ここに証人しょうにんがいるからな」

 指を差されて、クレイはほぞんだ。

 またしても、二人の戦いを邪魔する訳にいかなくなった。

 「余が勝てば・・そうだな」

 王の、左右異色の目がにぶく輝いた。右腰の太刀たちに左手をかざし、腰を低く落とす。

 「条件は、ライカンと同じでいい」




 第4章に続く