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第6章 A bhuine・・ 〜My dear・・〜
「スイヴナの息子、リズクは死んだ」 大きな館の中心に切られた炉辺で、シノアからの使者はそう告げた。 途端、家の中に犇く男達が騒ぎ出す。 では、島々とシノアとの協定はどうなるのか? 今、シノアの王座は誰のものか? クローハルは、オシアンはどうなったのか? 酒の入った壺が倒れ、慌てた給仕の女達が卓に並ぶ魚の皿をさっさと下げ始めた。 「イーファの娘、シュリトゥーハルの玉座を引き継ぐジァヴは生きている」 使者の持つ手紙には、右足に菫の花を持つ金の鷲が描かれている。 男は、しばし間を置いて、沈黙が戻った頃、手紙を裏返した。 そちらにも絵があった。黒豹と待雪草。 「琺夜王の手元で」 館の中には間を仕切る壁がなく、部屋は一つだけだった。 蜂の巣を突いたような騒ぎから、ザンは耐えられずに飛び出した。 「―――、―――・・」 真っ暗な夜。 ザン・ゼイルは声を出さずに泣いていた。 サンザシが不穏に揺れ、岩礁に波が打ち寄せる。 館の中から漏れるアザラシ油の光が、暗い波の頭を照らしている。 年若い外交官は、死んだ友と、より辛い運命を生きている友のことを想った。 (何もできなかった。俺は・・何もできなかった!) この小さな島、トトラ島には、現在二十隻の軍艦が停泊している。 漕ぎ手達や兵士達は船に乗り込んで眠っているが、合図を出せばいつでも数十本のオールを一斉に水に下ろして漕ぎ出すことができる。 剣の刃は月も切れるほど鋭く研がれ、銛の錆はこそぎ落とされ、いつでも戦うことができる。 陸地に下りているのは、召使いの他は、島長達、島々の責任者達ばかり。 一時の悲しみを封じ込めたザンは、足元の砂利を海に向かって蹴散らした。 あんな家など潰れてしまえ、こんな島など沈んでしまえばいい。 これだけの海軍があって、これだけの準備ができていて、どうして必要な時に動けなかったのか。それと言うのも、全部この島であてもない議論ばかりしている無能なじじいどもがいけないのではないか。 「じじいども」の中にはリズクの父親も、ザン自身の父親もいたが、彼は容赦しなかった。 ザンはもう随分長い間、ザン・マク・ニーツァイセンと名乗っていない。 彼が物心ついた時には、生まれ故郷のナギ島から遠く離されて、セルジリア帝国の首都イデリィにいた。父親がセルズに反逆しないよう、人質として連れて行かれたのだ。 ザンを預かったゼイル家の人々は、彼を厳しく躾けた。 途方もない時間、勉強させられたし、ゼイル家の子供達と同じ食卓で、遥かに少ない量の食事しか貰えなかった。鞭でぶたれたことはあっても、優しくされたことなど一度もなかった。 幾度も逃げ出したいと思ったが、気持ちとは裏腹に、彼はどんどん強制的に刷り込まれる知識を吸収して行った。 十二歳になって、突然故郷に帰れるのだと聞かされた時、だからザンは、それを養父の陰湿な嫌がらせだとしか思わなかった。 ところが、彼は港に連れて行かれ、たくさんのお土産を持たされて、船に乗せられた。 ザンは荷物を抱えて甲板に座り込み、恨みとも解放感とも言えない気持ちで、じっと養父を見下ろしていた。 ゼイル卿はいつまでも家に帰ろうとせず、かと言ってザンに別れの言葉をかけるでもなく、背を向けていた。 そして出航がいよいよという時になって、このセルズ人は声を張り上げたのだ。 “Don’t you want to fight for freedom?” ザンは振り返ったが、ゼイル卿は背を向けていた。 「Expect freedom!それを得る力を、お前はもう持っている!」 それは、養父が彼にくれた言葉の中で、唯一温かく、また、一番厳しいものだった。 彼は最後までゼイル卿の意図が分からなかったし、あのセルズ人を愛する気持ちも湧いて来なかった。 それでも、ザンはゼイルを名乗り続けた。 背中に振り下ろされる鞭の痛みとともに刻み込まれた知識、特に言語力は、確かに彼の財産になった。 自由を欲せよというその言葉通り、双牙列島諸国からセルズ人を追い出す為にあらゆる策を使った。 ニーツァイセンは穀潰しの赤ん坊が優秀な息子になって戻って来たことに大喜びだったし、島長の誰もがザンに一目置いた。 彼の賢さやセルズ訛りのある喋り方を恐れもしない友達ができてからは、自由や平和への希求は具体性を持って、強くなった。 この友人達と、いつまでも共にいたい。 彼らがいつまでも幸せに、笑って過ごせる時代の為に、何でもしよう、と。 (だが・・全て遅かった) ザンは尖った顎の先から鼻水が滴っていることに気づいたが、頓着しなかった。 リズクは死んだ。琺夜族は余程の事がない限り、武器を持たない者を殺さないのに。あの、誰よりも戦いが嫌いだった少年は、それでも愛する少女の為に剣を取ったのだろうか。 ジァヴは捕らわれた。空を舞う黄金の鷲になったであろう少女は、惨めに籠の中にいる。 もう、何もかも取り返しがつかない・・ 「ザン!」 その時、館の中から父親の呼ぶ声が聞こえた。 我に返ると、館の喧騒は大変なもので、誰も彼もが大声を上げていた。 「ザン!!王女の手紙を読め!こいつぁ、大変なことになった!来てくれ!」 ザンは、目が覚めた。 そうだ。ジァヴの寄越した手紙には、小鹿ではなく鷲が描かれていたではないか。 どうして自分は、あのジァヴが既に屈服したと思い込んでいたのだろう? その夜、月は出なかった。 庭の林檎の木がさらさらと歌っている。 空は恐ろしいほどに澄んでいる。窓にかかった薄い紗のカーテンを透かしても、星の瞬きが見えるほどに。 どこまでも清かな夜の下で、心臓がどくどくと脈打っている。 久しぶりに温浴してドレスを着たジァヴは、窓辺の椅子に座って、白くなるほど手を握り締めていた。 今のところ、計画は順調に進んでいる。 シォダを送ってくれた兵に、リズクの遺体を故郷に帰してやりたいという相談を持ちかけると、彼はすぐにクレイ将軍を呼んでくれた。 唐突な再会に将軍は戸惑っていたが、何度も深く頷きながらジァヴの世界標準語を聞いて、今日中にナギ島へ向けて船を出すと約束してくれた。 リズクを殺した男、クレイ=ユーンは、悪魔の申し子の様な王に比べれば、かなりのお人好しだ。約束は守るだろう。 (あいつが、今夜ここに来る・・) ジァヴは自分に言い聞かせた。 今、自分にできるのは、老獪な王の目をこちらに引きつけておくこと。 ザンが手紙を読んでくれれば、明日の朝には双牙の海軍がシノアの海岸を攻める。最終的な勝利の為に、些細な犠牲など気にしてはいけない。 (犠牲・・?いいえ!) 今やジァヴには、この状況を楽しむ余裕があった。 あの王を篭絡してやる。まずは、彼の最も近い存在となる。彼にとって最も愛しい者となって、すっかり気を許した頃に、背中から刺してやる。 ただ・・願わくば・・ (リズクが・・できるだけ早く行ってしまいますように。船を速めて下さい、神よ) 愛する少年の思い出にも、もう涙は流れない。 彼を裏切ってしまう自分には、もうそんな資格もないのだ。 (それでも・・リズク、あなたは私を許してくれるんでしょうね。あなたは誰かを恨むことなんてできないもの・・あなたは私の側にいるには、弱かった・・) 「!」 不意にジァヴは、びくっと体を強張らせた。 (わたし・・) 『ジァヴ殿』 王の声が聞こえた。 「―――」 覚悟を決めて待ち受けたが、しばらく待っても、王はノックもしなければ、扉を開けようともしない。 ジァヴは少し考えて、理解した。 シノアのしきたりでは、新婚初夜に、新郎は寝室の外から一度だけ新婦の名を呼ぶことになっている。新婦が扉を開けるまで、中に入ることができないのだ。 (あいつ・・) 誰にそんな礼儀を教わったのか知らないが、常に傍若無人なくせに、こういうところばかり慇懃とはどういうことだ。 ジァヴは突然、計画を狂わされた。 扉を開ければ、合意と見なされる。 王が勝手に扉を開けて入って来たなら、望まない凌辱を受けたのだと後で自分を納得させることができたかもしれないのに。 「それすら許さないというのね・・」 ジァヴは自分だけに聞こえる声で囁いた。 『・・まあ、そなたが開けるとは思わなかったが』 王が呟くのが聞こえ、足音。 その声にどこか安心したような響きがあったのを、ジァヴは聞き逃した。 扉の前から離れて行く足音に、仰天していた。 ここで彼を捉まえておかなければ、計画は台無しだ。 何より、一度覚悟を崩されてしまえば、もう二度と、同じ境地に至ることはできない。 「待っ・・!!」 ジァヴは部屋を飛び出し、背中を向けて去ろうとする王の腕を掴む。 「あ・・」 腕を引かれた男は、紅に光る目をぽっかりと見開いて、ジァヴの方を振り返った。 身長142pのジァヴと、靴を入れてほぼ同じ高さの王。二人の目線がぶつかった。 「・・・・」 「・・・・」 無限に気まずい時間が流れる。 熱視覚を使っていた王の瞳から、紅い輝きが失せる。通常の視覚でもジァヴを見つめ、まだ信じられないという顔だった。 (私・・ものすごく恥ずかしいこと・・) ジァヴの顔が真っ赤になり、次いで真っ青になった。 王の、こんな間抜けな顔は今まで見たことがない。狡猾な彼の意表を突いた訳だが、ちっとも喜ぶ気になれない。 「・・入ってもいいのか?」 やがて、王が遠慮がちに――しかも心なしか嫌そうに――口を開いた時、ジァヴは、黙って頷くことしかできなかった。 王はいつもと同じ色彩――青い裏地の付いた黒いマント――を着ていたが、良く見ると、それはいつもの服とは違っていた。裾に銀糸の飾り縫いがあり、黒い布も模様が織り込まれたヴェルヴェットだ。上着も綾織のシルク・タフタ。いつもよりさり気なく豪華になっている。勿論、血のしみもない。ジァヴが言った通り、髪にも櫛が通っていた。 こんな奴が、素直に自分の言うことを聞いたのだろうか。 「ジェイド」 腹を括り、先に寝台に上がろうとしていたジァヴは、立ち止まった。憤怒を込めて王を睨みつける。 「・・この名は嫌いか?」 王が不思議そうに小首を傾げる。侮辱したつもりはないのか、人を傷つけることなど全く気にしないのか、そのどちらかの態度だ。 「セルズ語はあなたの方が堪能だと思っていたけれど」 腹が立っていたから、ジァヴは素っ気なく言った。 少し間を置いて、王が微笑む。 「・・そなたのことだな」 「分かっているならわざわざ訊かないで!!」 ジァヴが大声を上げると、王はちょっと苦笑いして、側にやって来る。 脱いだマントを寝台の柱に掛けるまではやたらと時間がかかっていたが、一緒に寝台に入ると、彼はもう躊躇った様子は見せなかった。 不貞腐れているジァヴの肩を抱き寄せ、顔を近づける。 こういう時は目を閉じるものなのかもしれないが、ジァヴは白けた表情を保ったまま、待ち受けた。 間近で見る侵略者の顔は、どこも隙がなく整っている。 少女のような、小作りで可愛らしい顔のパーツの中で、左右異色の瞳だけが、強烈な雄の色をしている。 (・・・・!) ジァヴは初めて彼の前で、怒りとは無関係に頬を染めた。 王も、目を閉じない。強い輝きを秘めた瞳に、ジァヴの顔を映している。 「・・ぅっ」 唇が重なった。 それがあまりに手馴れていて、ジァヴは、彼がこんなことをするのが生まれて初めてだとは思いも因らない。 ジァヴを抱く腕も、体を支える胸も、びっくりするほど筋肉質で、熱い。 まだ幼いが、紛れもない戦士の体だ。 触れてみるまで、知らなかった。 「・・・・」 長い口付けから解放された時、襟元から覗く白い首筋に、大きな傷痕を見つけた。 戦いの印。 これほど美しい彼が、生き抜いた奇跡を表す凄み。 「な・・」 意外に優しい手つきで、押し倒される。 ジァヴの心臓が、大きな音を立てた。 (違う!!私はリズクが好きだった!!愛していた!!) 頬に、吐息が触れる。 (違わない。あの弱さを、ずっと歯痒く思っていた) 心の中で、二つの声が鳴り響く。 (リズクは私を愛してくれた!打算などなく、ただ愛してくれた!) (彼は私を認めてくれた。リズクが決して認めなかった、私の価値を) ジァヴは、自分自身に芽生えた疑惑に、恐れ戦いた。 自分は、そんな風に考えていたのか。あれほど惜しみない愛を与えてくれたリズクを、そんな風に疎む気持ちがあったのか・・ (違う・・そんなこと・・) 何があろうと、この心だけは変わることがないと思っていた。 この思いだけは、奪われることはないと思っていた。 なのに、それがこんなに簡単に崩されてしまうものだったなんて・・ 「・・リズク・・」 ジァヴの着ている緑色のドレスを指で追い、絹地の滑らかさと織りの細かさに感動しつつ、この服はどういう構造をしているんだと考えていた王は、不意に例の名前を出されて、きゅうっと眉を吊り上げた。 「ジァヴ」 組み敷いたジァヴを物騒な眼差しで睨みつけ・・目を逸らす。 (泣いた・・) クレイが言うには、寝台に入ってやることもやらない内に泣かれたら、それは失敗なのだそうだ。 そういう時にはひたすら優しく宥めるしかないとも言っていたが、優しくとは、一体何を言えばいいのだ? ジァヴが喜びそうなことと言えば、シノアを併合しても農家一戸辺りの税率はこれまでと同じにしようとか?省庁の再編成についても最大限配慮する?この国の繊維産業は市場の拡大によって更なる発展が見込まれるだろう?もし妹に視力を与えたければ腕のいい医者を紹介する?これはいいかもしれない。 「・・嫌われたものだな」 大きな溜め息をついた王は、ジァヴを突き放す。 ストレスが溜まる。 無理だ。口を開けば絶対嫌味が出そうだ。 そのまま振り返らずに部屋を出ようとしたが、寝台から出た時、しゃくり上げる声を聞いてしまい、足を止めた。 「・・・・」 (お前が招いたのであろう。脅迫しなかったとは言わぬが・・) 言いたいことは山ほどあったが、どんな経緯であれ、彼女を泣かせたのは自分だ。女を泣かせたまま放っておくのは最低の行為だと、クレイは言っていた。何とかせねばならない。 十六年の人生で、大抵の危機に対する処置は学んでいるが、こんな事態は経験したことがない。どうしようかと困った挙句、王は自分の記憶を探った。すると・・ ・・あった。人を慰めたことが、一度だけ。 あれは、まだ五歳の時。最愛の乳母が死んだ時。母が突然いなくなった理由を理解できず、泣きじゃくる弟を、寝付くまであやしてやったことがある。 (うーむ・・) あの時とは大分状況が違う。しかし、他に思いつかない。このまま何もしないよりはましだろう。 王は半ば以上自棄っぱちで、再びジァヴに近寄った。 「っ!」 両腋の下に手を入れられた時、ジァヴは暴行されるのだと思った。 自分で招き入れておいて、拒んだのだ。この悪魔を怒らせたに違いない。 ところが次の瞬間、ジァヴの顎は王の肩についていた。 「・・え」 体型は同じようでも、リズクとは違う、逞しい肩。春の草原を抜ける風のような体臭。 自分のものではない脈動も、決して不快ではない。 (・・駄目・・) 背中に腕を回され、髪を梳かれる。知らず抱擁に応えようとしていた時、耳元でこう囁かれた。 「いい子だ・・泣くな」 「・・・・」 5分はそのまま固まっていただろう。 「なっ・・」 唐突に冷めたジァヴは、両腕が上がっていたことに気付いた。 その手で、密着している男を力一杯突き飛ばす。 「何なのよあなたはっ!?」 ジァヴは、ますます自分の気持ちが分からなくなった。 ほっとしたり、がっかりしたり、何だか分からないが物凄く腹が立ったり・・ 威勢のいい怒号と共に両手の掌底を喰らい、弾き飛ばされた王は、一安心する。 ちゃんと泣き止んだ。案外うまくいくものだ。 色々と勘違いして一件落着とした王は、いつものように前髪を掻き上げた。 手が顔の上を通り過ぎた後、表情が一変する。 「何のつもりだ?」 ジァヴは、うっと喉を詰まらせた。この冷たい目は、いつもの彼だ。囁くような声にも、もう危うい響きはない。違う意味では、物凄く危険になったが。 「・・覚悟をしていたつもりだったわ。でも、やっぱり怖くなってしまって・・」 ジァヴは、本当ではないが嘘でもないことを言った。状況だけ見れば、そう解釈するのが自然だろう。 「何故俺を部屋に入れた?どんな罠だ?」 『罠』だと断言され、ジァヴは、背筋に氷を当てられた気がした。 必死で平静を保ち、ちょっと上目遣いで首を傾げてみる。リズクが限りなく魅力的だと言った仕種だ。 「・・どうしてそう思うの?」 王は、すっと目を細めた。 「そなたは、己の弱みを素直に明かしたりはしない筈だ。殊に、俺にはな」 ジァヴは、王の自称がいつもと違うことに気が付いた。砕けた感じになっている。 王は首を回して部屋を見渡した後、言った。 「本命はここだと思ったが。髭面の友人達はどうしたのだ?」 「・・・・」 「この部屋には俺とそなたの他、誰もいないな。そなたの唇も毒の味はしない・・となれば」 ジァヴは、ごくりと喉を鳴らした。感じていたかもしれない甘やかな気分は、とうに吹き飛んでいる。 「・・知っていたの?」 「おや、何を?」 楽しそうな王の質問に、ジァヴははっとした。鎌をかけられていたのだ。 「・・・口は割らないわよ」 大当たりだ。 王は確信して、にやりと笑った。 彼女が何を企んでいるか、実は、ほとんど見当がついている。今日、リズク・マク・スイヴナの遺体を乗せた船が出航した。彼女の気持ちを考えればそれほど不自然でもなかろうかと思ったが、随分と唐突な船出だった。あれだろう。 (今からでは・・阻止するには遅いな) 双牙列島諸国連合の軍を呼びに行ったのだろう。が、果たして彼らがジァヴの意に添うように動くものだろうか? 双牙列島と周辺の島々は古くからシノア王国と友好を結んでいるが、実はそれほど絆が強い訳ではない。連合軍が琺夜からシノアを奪い取ったとしても、すんなりジァヴに国を返すだろうか?むしろ、島々の指導者達は、誰が最も強い権力を持つか、揉めている筈だ。リズクが死に、シノアへの足掛りを失った今、ハルスターの島長スイヴナも執政官の地位に留まってはいないかもしれない。 ジァヴにも、何か切り札があるのかもしれないが。 「・・・・」 兵達には、ある程度の備えはさせてある。ならば、少しばかり大きな被害が出ることは覚悟した上で、これを軍の士気を高揚させるチャンスと見よう。 琺夜軍は久しぶりに、戦いらしい戦いに臨むことができるかもしれない。 「・・まあいい」 嘯いて、王はジァヴの隣に寝転んだ。緊張感の欠片もない大欠伸をする。 ぎょっとしたのは、ジァヴだ。 「な・・何!?」 「ふぁ――そなたが折角体を張ったのだ。朝までそなたと共にいてやろう」 ありがたく思えと言われて、ジァヴは驚愕した。 罠だと見抜きながら、この男は動かないというのか? だが、彼の目に宿る冷たい炎に気付いて、すぐにジァヴは恐ろしくなった。 「・・自信が、あるのね」 この余裕は、どんな敵が襲い来ても絶対に打ち勝つという確信があるから。 王は片頬を上げて、凶悪極まりない笑みを浮かべた。 紛れもない肯定。 「そなたの策には負けぬ。“ジェイド”殿」 ジァヴは、きゅっと口を引き結ぶ。 「・・何とでも言いなさいよ」 王はくすっと微笑んで、ぱちりと右目を閉じた。 「翡翠・・だ」 ジァヴは何のことだか分からず、王を睨みつける。 琺夜族の昼間の瞳は、翡翠の色と言われている。 「J、A、D、E。我が国では、この語の表す意味は一つだ」 ジァヴは目を見開いた。 「そなたの名は、菫色の翡翠。Violet Jade、だろう?」 どれだけ時間が経ったのか。 寝台に座ったまま寝付けないジァヴは、不思議な気分で王の顔を見下ろした。 「強いのね・・」 瞳を閉じた彼は、別人のようだった。何と言うか・・仔猫っぽい。 例えば今、彼の首にナイフを突き立てようとしたならば、おそらく、その殺気だけで豹変するのだろうけれど。 それにしたって、自分の側で穏やかに眠るなんて・・ 「それに・・優しいの・・ね」 ほんの小さな声だったのに、ぱちっと目が開いた。 「面白い冗談だな?」 ジァヴは言うんじゃなかったと後悔した。 だんだん分かってきたのだが、彼は媚びを売る人間が大嫌いなのだ。 「いえ・・あなたが優しい人だなんて口が裂けても言わないわ。でも・・あなたも、人間だって・・思ったから」 ジァヴがあたふたと言い訳をすると、王は少しだけ目を見張った。 「・・・・」 長い黒髪、光の入射角によっては青にも見える菫色の瞳。 「ああ・・」 大きな目でじっくりとジァヴを見つめ、そして、何かに納得したように目を閉じる。 「俺はそなたに甘いからな」 「え?」 あっさり言われて、ジァヴは慌てた。 「フェオ・・クレイ将軍に、女を泣かせるような男は最低だと言われた。どうやら、この面は奴の方が熟達しているようだから、従ったまでだ」 何のことだか分からず、ジァヴは眉を寄せる。 琅珂は、もう何も言わなかった。ようやく思い当たったのだ。王としての利得以外に、ジァヴを気に入った理由が。 彼女の容姿は、遠い砂漠の風を思い出させた。 長い黒髪と青い瞳を持つまぼろしの少女に、かつて仄かな恋をしたことを・・ 第7章に続く |
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