第7章 Dóiteán 〜戦火〜


 夜明け前、シノア城の温浴おんよく部屋。

 芳香ほうこうを放つ木材で作られた丸太小屋の煙突えんとつから、もくもくと煙が上がっている。

 「くぁ〜・・」

 がしょがしょがしょがしょ・・

 クレイが風呂に入っていた。

 ようやく杖をつかずに歩けるようになったから、一月ぶりに(軍医に黙って勝手に)包帯ほうたい石膏せっこうを取った右脚は、あかまみれていた。

 シノアで言う風呂とは、基本的に蒸し風呂サウナのみだ。

 たっぷり汗をかいた肌に冷水を浴び、汚れを洗い流すのだが、それではとても間に合わない。琺夜から持ってきた石鹸せっけんを泡立て、糸瓜へちまを使って汚れをこすり落とす。

 「げ・・」

 擦っていると、生白なまっちろい肌が現れた。筋肉もすっかりせ細り、左脚と比べると3分の2程度の太さになっている。

 また一からきたえ直しだ。

 「やべっ・・」

 弱りきった右脚を伸ばし、くつろいでいたクレイは、硝子ガラス張りの窓に映る人影に気付き、冷水のおけに飛び込んだ。

 「くぉらてめェ!何してんだァ!!」

 うるさい軍医が来た。高価な硝子の窓をどんどんがんがん叩いている。

 なぜばれたのだろう?足がつかないように、自分でまきを割って火をいたのに。

 (ああ・・湯気と煙が上がってりゃ、当然か・・)

 こんなかんにぶってるなぁ・・などと呑気のんきに考えながら、苦しくなってきたクレイは桶から顔を出した。

 「うるせぇよ!もう歩けるって言ってるだろ!!」

 びしっ!と音を立てて、窓硝子にひびが入った。

 後でジァヴ姫に謝らなければ。経費けいひ弁償べんしょうできるだろうか。

 「ざけんなァ!医者の忠告何だと思ってんだオッサン――じゃねぇ、敵襲てきしゅうだー!!」



 軍人の身支度みじたくは早い。

 ガラが悪い(人のことは言えないが)軍医の一喝いっかつから十分後、クレイは軍服一式と剣を身に着け、海岸に向かってステファノスを走らせていた。

 更に十分後、みなと辿たどり着いたクレイは、ぽかんと口を開ける。



 イリカ港は、太古の氷蝕ひょうしょくで形成された峡湾フィヨルドに手を加えて作られた入り江である。

 北東から南西に長く伸びる海岸に向かって、陸地からラッパ状に開いた湾は、湾口は広いものの、湾奥の幅は1qキロメートルに満たない。

 湾奥の埠頭ふとうを除く両岸は、断崖絶壁だんがいぜっぺき。上陸できる場所は限られている。

 薄霧にけむる湾口から、大きな軍艦ぐんかんが入って来る。五十・・八十・・百三十隻。

 東の山嶺さんれいから朝日が顔を出す頃、沖から来る艦隊かんたいの起こす波が岸壁がんぺきに打ち付ける。埠頭に降り立ったクレイの足の下で、白い波頭なみがしらが弾けた。

 「閣下モン・ジェネラル!」

 クレイの姿を見て駆け寄って来た弓兵隊の大隊長シェフ・ドゥ・バタイヨンは、明らかに狼狽ろうばいしていた。何せ両手で敬礼している。額から光線でも出るのか、と訊きたくなるポーズだ。

 「我が軍は・・足りません。敵に対して圧倒的に足りません、閣下!!」

 クレイは再びステファノスの背に飛び乗って、上空にけ上がった。さっと港に目を走らせ、軍艦に乗り込もうとしている部隊を数える。

 歩兵大隊バタイヨン・ダンファントリが九隊。弓兵連隊レジマン・ダルシェが一隊。約千九百人。他に戦車中隊エスカドロン弩兵大隊バタイヨン・ダルバレトリェがいるが、それを足しても二千人強。

 敵のガレー船ガレールは、一隻に二百人は乗れそうだ。内百五十人がぎ手だとしても、兵士が五十人。百三十で乗算すると、六千五百人。

 確かに戦力差は圧倒的だ。

 援軍を呼んだが、仮にシノア中の琺夜軍全てを集中させても、六千人。城を守り、シノア人の暴動をおさえる必要もあるから、その半分も集まればいい方だ。

 (これで勝てってか?)

 クレイは上着を引っ張って冷や汗の流れるわきぬぐい、灯台の近くに置かれた奇妙な装置に目を留めた。

 地上に降下し、先程の大隊長シェフ・ドゥ・バタイヨンに向き直る。

 「お前、名前は?」

 「はっ!!ハートン子爵家の三男、ガウリィ=ハートンであります!」

 「そうか。ガウリィ、あれは何だ?」

 背後の高台にずらりと一列に並んだ兵機へいきを振り仰いで、その大隊長は溜め息をついた。

 「作りかけの投石器カタパルトと、大型のアルバレートでありますが・・」

 こんなものでは焼け石に水だろう。あの軍艦にはかなわない。

 「そうじゃねぇ。あの、光ってるやつだ」

 クレイが指差す方を見て、ガウリィはますます大きな溜め息をつく。

 「灯台に使われている、反射鏡はんしゃきょう予備よびだということです。陛下のご命令であそこに置いてあるのですが・・どうなさるおつもりなのやら」

 「ぁあ・・」

 話している間にも、連合軍の船が大きくなる。黒いに白く染め抜かれたさめどもが、横目でこちらをにらんでいる。

 「・・その、陛下は?まさか、まだ寝てやがんのか?」

 「さあ・・私には何とも・・」

 クレイは、昨夜ジァヴの部屋の前で見たものを思い出し、軽い頭痛を覚えた。

 王があの姫に無体むたいいるようなら止める気だったが、予想とは逆に、ジァヴ姫が逃げ腰の琅珂を寝室に引きり込んでいた。

 何が何だか知らないが、相思相愛そうしそうあいなら「勝手にやってくれ」だ。女は分からない。

 仲が良いのは結構だが、まだよろしくやっているのだろうか?王のことだから、既に戦闘の臭いをぎつけているとは思うが、こと恋だの愛だのがからむと、どんなに優秀な策士さくしでも頭がにぶることがある。

 そう言えば、と、クレイは自軍を見渡した。

 琺夜から少数精鋭の援軍が来たという話は聞いているが、自分の師団ディヴィズィヨンにもライカンの連隊レジマンにもほとんどいなかった筈の女性兵士ファム・ソルダが目につく。それも、あまり戦闘の役には立たないような、ひ弱そうな女達が。それほど人手不足だったのだろうか。



 敵の艦隊かんたいは、波止場はとばから離れた一定の位置で動きを止めた。彼我ひがの距離は、約900mメートル

 互いに長弓ちょうきゅうの矢さえ届く距離ではない。

 「敵は何をしているんでしょう?」

 クレイは目を細めて敵の動きを見つめた。

 彼自身、海軍と戦ったことはないが、かつて琺夜がセルズと海上で戦った時の話は、祖父そふから聞いたことがある。

 「・・あれで、こっちからおきに船を出すことはできなくなった。奴らは港を封鎖ふうさしたつもりなんだろうよ」

 シノアの海軍を使って敵を海上で叩く、という戦法は、これで使えなくなった。ジァヴが喜ぶだろう。

 それでも、琺夜軍だけで戦うのは、むしろ望むところだ。

 大地の眷属けんぞくである翼馬よくばは、海水の上を飛べない。海にれない琺夜軍が船に乗って出撃すれば、船酔ふなよいだけで全滅ぜんめつねない。じりじりと兵を下げつつ敵を上陸させ、地上戦に持ち込むのがいいだろう。

 「全兵に通達しろ!軍艦には乗るな!歩兵隊、7番小隊から17番小隊、横列おうれつ展開てんかい!!右翼うよくに弓兵隊1番小隊から5番小隊、左翼さよくに6番小隊から10番小隊整列!両脇を固めろ!!」

 しかし、数の不利はどうしようもない。

 それに、有効な戦術など何一つ・・

 「あら、フェオ。来てくれたの?」



 ぞわっ。クレイは全身の毛を逆立てた。

 ごちゃごちゃした計算が頭の中から吹き飛び、ぎやぁ!出た!変態へんたいミルクタンク!・・と、珍妙ちんみょうさけびがのどの奥で暴れ出す。

 それでも、彼はその全てを何とか飲みくだして、回れ右で敬礼をした。

 「はっ!マダム・・・グエン

 振り返った先にいたのは、予想通りの人物だった。

 メロンのような二つの乳房ちぶさ。上半身の重量を考えると折れないのが不思議なほど細い腰、適度てきどに横に張り出した尻、軍服の上からも分かる、見事な脚線美きゃくせんび

 到底軍人とは思われない肉感的な肢体したいに、あどけない、と言っても良さそうなミルキー・フェイスをせた女。細かくんだ髪を頭に巻きつけ、腰には短い剣をいている。

 琺夜軍工兵隊将軍、グエン・サレア・パルフィーナ。

 全身で拒絶きょぜつを表す男に、サレアは優艶ゆうえんに微笑みながらきついた。

 「もう、ダメな子ねぇ。何度言えば分かるの?グエンは家名よ。サ・レ・アって呼んで・・」

 「〜っ」

 名前を言う時、母音ぼいんごとに区切って耳に息を吹きかけられた。

 クレイのたましいが「一体俺が何をした・・」とうめきながら空の上まで飛んでいく。

 巨大な胸のふくらみがしっかり体に押し付けられているのは、意図的いとてきにやっているに違いない。実に迷惑極めいわくきわまりない―――悪くない感触ではあるが。

 「ま・・マダム・・・一体全体驚天きょうてん動地どうち皆目かいもく不可解ふかかいいやいやいや!」

 「・・あのぅ・・閣下・・」

 何でここに?という一言が訊けないクレイに代わって、側にいたガウリィが声を上げる。

 「あらなぁに?私、あんたみたいな中途半端な鷲鼻わしばなでケツアゴで将来ハゲそうな男って好みじゃないんだけど。だってほら、黒い髪って目立つじゃない?薄くなったら。ハゲても魅力的みりょくてきな男っていないわけじゃないけど、あんた存在感も薄いし、期待できないわね。いっそっちゃいなさいよ」

 「・・ユーン卿はご存じないのです。昨日まで戦場を離れておいででしたから」

 色々と傷つきながらガウリィが言うと、サレアはぱちくりと目を瞬いた。

 みどり色の瞳は小動物のようにくりくりしているが、長くカールした睫毛まつげは何とも扇情的せんじょうてきだ。

 「いゃあん・・私ったら、忘れてたわ」

 「・・三一にもなって『いやあん』って、おい・・

 「あらフェオ?何か?」

 「いやマダム!・・もしかして、先輩が、ライカンの代理に・・」

 一言言うたびに、だんだん絶望的な方向へ表情を変えていくクレイに、ガウリィは「お気の毒に」とつぶやいた。

 色っぽい美女に体をり寄せられている男をうらやんでもいいだろうに、整列する兵士達ソルダも、同情的な溜め息をつくばかりだ。

 (落ち着け俺・・不意打ちに動揺どうようしただけだ。相手はただの変態セクハラ年増としま・・別に怖くない。よし!)

 心中で自己暗示あんじを済ませたクレイは、引きった表情筋に、無理やり軟派なんぱな笑みを貼り付けた。

 「サレア」

 「なぁにフェオ?」

 「再会の挨拶あいさつはこれぐらいにしようぜ。・・皆が見てる」

 「あぁん、見せつければいいじゃない」

 「そうもいかねぇ・・分かってるだろ?」

 「う・・でももう少しだけ。ダメ?」

 「仕方ないな・・」

 見ているだけで砂糖さとうきたくなる三文芝居さんもんしばいを始めた将軍達に、周囲の生温かい視線が降りそそぐ。

 敵の軍艦は目の前。臨戦態勢りんせんたいせい

 この最前線で何をやっとんだ、あんたら?と、声に出して言う者はいないが。



 びいん!

 頭の上を通り過ぎた風切り音に、クレイはぴくっと眉を上げた。

 サレアの体をぽいと横に放り――そのさい何やら非常に甘ったるい悲鳴が聞こえたが気にせず――、自軍の背後を振り返る。

 びいん!びいん!びいん!びいん!びいん!びいん!びいん!びいん!

 立て続けに何かが頭上を飛んで行き、少し後に、対峙たいじする敵艦から人がこぼれ落ちる。海の向こうで悲鳴が上がった。

 「全射命中トゥトン・フラペ敵前衛艦アヴァン・ギャルドの司令官殲滅せんめつ完了!」

 クレイは目をいた。

 あれはひきょうの声だ。

 「了解アンタンデュ!全軍そのまま待機たいき!ミーネ小隊のみ出撃せよ!」

 「了解ウィ・マダム!ミーネ小隊、出撃します!」

 サレアの号令ごうれいに、甲高かんだかい女の声が応じる。

 クレイは納得した。

 工兵隊セルヴィス・ドゥ・ジェニは、その隊員の七割が女なのだ。もっと早くにサレアが来ていることに気づいても良さそうなものだった。

 女兵士ソルダットを乗せた翼馬が七頭、長いつなを引っ張って、上空にけ上がる。

 綱の先には、あの大きな反射鏡。丸いかがみがぴかぴか光りながら空中に引き上げられ、まるで太陽がもう一つのぼったようになった。

 「デジレ小隊!任務を開始せよ!」

 「了解ウィ・マダム!」

 また、引き綱をつけた翼馬隊が現れた。

 次に引き上げられたのは、丸くて透明な、巨大なガラス。

 「おい・・まさかあれって・・」

 クレイのつぶやきに、サレアは大きな目から星を飛ばしてウインクする。

 空騎兵達シュヴァリーラルはきびきびと動き、内側に湾曲わんきょくした反射鏡と、大きな凸レンズを特殊とくしゅな角度に配置する。

 敵艦の黒いに、ぽつっと光点がともった。

 直後、帆からけむりが上がる。

 二人の小隊長シェフ・ドゥ・プロトン、ミーネとデジレの指示で、光点は少しずつ移動し、敵艦の帆に次々と火をけていく。

 敵からは恐怖の絶叫ぜっきょうが。味方からは歓声かんせいく。

 見る間に大騒ぎになった。

 「・・火計かけいなら、もっと簡単な方法があるんじゃないか?投石器カタパルトで火種と油壺を投げ込むとか」

 クレイが言うと、サレアは不満そうに「そうね」と言った。

 「あれは実験よ。結果、集光兵器は開発の道がないって分かったわ。訓練くんれんに時間がかかる上に、重くて割れ易くて遠くまで運べないもの。晴れた日中じゃないと使えないし。・・もっとも、あの程度の火であれだけ敵をき乱すことができたんだから、悪くないわね。二番煎にばんせんじは無理だとしても」

 サレアの言う通りだった。

 今まで見たことも聞いたこともないであろう不思議な攻撃を受けて、双牙列島諸国連合の兵士達は船上で大混乱におちいっている。

 小火ぼやぐらい、すぐに消し止められるだろうに、勝手に恐慌きょうこう状態になって海に飛び込む兵士達もいる。

 燃やされる前に攻撃を開始しようとあせってか、二隻の軍艦が峡湾きょうわんの中に入って来た。

 待ってましたとばかり、サレアは声を張り上げる。

 「ガビー中隊!コリンヌ中隊!」

 さけびながら、右手を高く上げて見せる。手鏡がきらきらと光った。

 そろそろ向こうの弓矢が届くだろう、という距離で、急に艦首かんしゅが持ち上がった。

 今まで気がつかなかったが、はばせまわんの両岸に、なにやら大きな滑車かっしゃのような装置が設置されていて、くるくる回転しながらくさりを巻き上げている。何十台もの戦車が一列に並び、鎖を引っ張っているのだ。

 海の中から、鉤爪かぎづめがいくつもついた太い鎖が現れた。鎖は軍艦二隻の衝角しょうかくを引っ掛け、持ち上げながら、がけの東西に張り渡される。

 「雑魚ざこ二匹じゃ、れても仕方ないわね。水に戻してあげなくちゃ」

 サレアは楽しそうに言って、再び右手を上げる。

 途端、ぴんと張っていた鎖がゆるみ、海中に落ちた。

 水飛沫しぶき

 急角度で吊り上げられた艦二隻は、今度は頭から海に落とされ、乗組員やオールをばらきながら横倒しになる。

 戦車中隊エスカドロンの中には、暴れ回る鎖にね飛ばされる可哀相かわいそうな兵もいたが、敵の被害と比較ひかくすれば些細ささいなものだ。

 「あらあら。ガレー船ガレールって意外と腰がわってないのねぇ。女をとっかえひっかえして財布さいふが空っぽの男みたいだわ。ねぇ、フェオ?」

 「・・尻の軽い女みたい、でもいいんじゃねぇか?」

 「や☆私のことぉ?」

 先走った仲間がわなまるのを目の当たりにして、続いて湾に入ろうとしていた艦隊が慌てて引き返す。

 その間に、再装填そうてんが完了したいしゆみの矢が、海を越えて容赦ようしゃなく彼らにおそい掛かった。



 「あん♪」

 敵兵達の阿鼻叫喚あびきょうかんやら味方の爆笑ばくしょうやらを聞きながら、サレアは何事もなかったかのように、クレイの腕にからみついた。

 「集光レンズや鎖はおまけみたいなもので、本命はあの・・アルバレートなのよ。アルクコルドを強化して、格段かくだんに飛距離を伸ばしたの。歯車式で、装填にかかる時間も短縮できたわ。射程しゃていが広過ぎて狙いがつけられないのが欠点と言えば欠点だけど。私の隊が二年越しで開発した特別製よ。今日がためちって訳♪」

 クレイは、ちらっと後ろを見た。

 「全射命中、と聞こえたが」

 「陛下の提案ていあんでね、望遠鏡を取り付けたの。セルズの硝子ガラスを使ってみたかったのね、要するに。でも、全部当てちゃうとは思わなかったわ。全く、王子様の大隊バタイヨン射撃しゃげきの腕だけは白眉はくびね。見せ場と手柄てがらも作ってあげたことだし、これで彼が将軍になる望みも出て来たか・・」

 まだどこかぼんやりしながら聞いていたクレイは、聞き捨てならない発言に気づいて、はっと我に帰った。

 「ひきょうは十五歳だぞ!?それに・・」

 「あ、言ってなかったわ。バルダザール将軍が死んだの」

 「何ぃ!?」

 「脳溢血のういっけつ。もう八十歳超えてたしね。ま、あの人は陛下と全面的に対立してたから、良かったわ。・・これで旧陣営じんえいで残ってるのはグラジオ将軍だけ。あなたの時も若過ぎるって非難轟々ひなんごうごうだったけど、ライカンも死んじゃったし、一気に平均年齢下がっちゃったわね。後はグラジオ=アッシュダークが死んだら、私が将軍最年長。いやん、信じられない!」

 縁起えんぎでもない、という言葉を飲み込んで、クレイはしつこくじゃれついて来る女を見下ろした。

 「つまり今、琺夜の軍部に陛下の味方は・・」

 「そ☆アッシュダーク卿だけよ。私がここに来ちゃったもの。私が青磁マルヴェ殿下なら、今の内に金をばらいて兵士達の金銭欲を鷲掴わしづかみね。もともと優秀な文官達は皆彼の支持者だし。ムッシュー・グラジオも心配だわ。あの人、e葵しゅうき様の時代からずっと殿下にうらまれてるもの」

 誰かさんが不甲斐ふがいないせいで呼び出されたのよ。とまでサレアは言わなかったが、クレイははっきりと自覚して、奥歯をめた。

 琅珂の政治生命は、危機ききひんしている。ここを乗り越えられなければ、王位を退しりぞくことになるのも時間の問題だろう。

 下らない不満を言い立てて、駄々をねている場合ではなかった。これ以上、主を失望させる訳にはいかない。

 「・・グエン先輩」

 「だーからぁ、サレアだってばぁ!」

 「マダム、指示を頼む。俺は何をすればいい?」

 サレアは唇をすぼめた。

 グエン・サレア・パルフィーナは、琺夜屈指くっしの技術兵として二十代の頃から名声をはくしている。が、そんなものは全く彼女の心を豊かにしなかった。

 せっかく女をみがいても、琺夜のぼんくら野郎どもは、彼女の発明した兵器の十分の一も、彼女自身の魅力みりょくを見てくれない。

 彼らだって休暇きゅうかに女とたわむれるのは好きなのだが、同じ部隊の女性兵士ファム・ソルダを欲望や恋情れんじょうの対象として見ようとはしない。―――あんまり。

 まあ、この坊やクレイは何だかんだ言って自分を尊敬そんけいしてくれるし、嫌々ながらもお遊びに付き合ってくれるいい男だが。

 今はうじうじと自己嫌悪で手一杯だ。鬱陶うっとうしい。

 「・・今はなぎだけど、そろそろ海から風が吹いてくるわ。今海上に出てる霧が、こっちにやって来る。敵も、本当はそれを待ってたんでしょうね。追い風を見計みはからって、こっちに矢を射掛いかける。その頃私達は霧に視界をさえぎられて身動き取れないから、簡単にハリネズミにできるもの。でも、あのいしゆみ海風かいふう程度に負けないわ。向こうの矢が届かない距離でも、こっちは攻撃できる。あちらもそれを理解したでしょうから、ほら、船を沖に下げてる」

 クレイは真剣な表情でうなずいた。

 「こうなったら、あちらは選択をせまられるわ。退却たいきゃくするか、それとも、霧にじょうじて上陸するか。軍艦に兵を何割か置いて、残りでこちらの弩を壊しに来るってのが妥当だとうな線ね。そうそう、さっきのとは別に、連射可能なタイプの弩も作ったのよ。撃ってる途中は照準しょうじゅんが変えにくくて、有効射程ゆうこうしゃていも80mってところだけど。奴らが押し寄せて来たら、王子の弩兵大隊バタイヨン・ダルバレトリェを最前列に配置して掃射そうしゃ。それで、少しは敵の数を減らしてあげられると思うわ。投石器カタパルトの設置が間に合えば、もう何隻か沈めてやれたんだけど。贅沢ぜいたくは言えないわね」

 「・・つまり、」

 「敵が戦いを続けるなら、この先は白兵戦はくへいせんよ。つまり、あなたの出番」

 クレイは、やっと不敵ふてきな笑みを浮かべた。

 これまでの不面目ふめんぼく撤回てっかいする機会は、ちゃんとあるのだ。

 サレアは満足げに目を細めて、クレイのほおに口付ける。

 やっぱりいい男は、こういう顔をしていなければ。

 「そう、もう一つ言い忘れてたけど、私、か弱いの。ちゃんと守ってね♪」

 クレイはちょっと迷惑そうに頬をひくつかせたが、サレアの望み通り、まじめに遊んでくれた。

 からんだ腕を優しく振り払い、手のこうに口付け。

 「可愛いサレア。君がいる限り、勝利を見失うことはない・・マジで

 「ええフェオ・・側にいるわ。存分ぞんぶんって頂戴ちょうだい




 第8章に続く