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第8章 Cleas 〜企み〜
「撃ち方、止め!次の作戦に移る!」 沖に引き揚げて行く敵艦を見やり、翡 ![]() これだけ距離が開けば、もう矢は届かない。後は前衛に移動し、小型の連射式弩に矢を装填して、敵が再び近づいて来るのを待つ。 院将軍の――否、王の作戦は完璧だ。 一個連隊程度は、この新兵器で片付けられるだろう。その後は、クレイ将軍の歩兵師団が剣と槍とで戦うことになる。 ぎりぎりで勝てる戦いだ。つまり、兵士達の大半がここで死ぬだろう。 (真っ先に潰されるのは、俺の大隊だけどな・・) 翡 ![]() 最近、琺夜の兵士は増え過ぎている。王家の財産ではとても養い切れない。だが、今ここにいる兵士達が半分もいなくなれば、財政状況はかなり改善する。 卑劣極まりない作戦だが、兄王なら眉一つ動かすことなく実行できる。 翡 ![]() 死を命じられた者達に、せめて殉じて詫びようと。 皮肉にも、自分のこの行動で、誰も文句は言えなくなった。王の弟が最も危険な場所に配置されるというのに、一体誰が死ぬのが怖いと言えるだろうか。 兄が知っていたら間違いなく反対しただろう。琅珂は、自分のことは愛してくれているから。とても悲しむかもしれないが、自業自得だ。 あの兄は、一人になってしまうけれど。 それが心配でない訳では、ないけれど・・ (俺がいなくても、兄上は生きていける。ご飯もまともに食べないだろうし、ペリード家の兄上達や琳とも仲良くしないだろうし、これからも友達できないだろうけど・・大丈夫・・大丈夫。エパノスさんだっている。クレイも、バケモノだからきっと死なない。霞紗様!・・怒ってないかな?何で兄上は毎回毎回自分から嫌われるようなことしちゃうんだか。そんなだから友達できないんだホントに・・) 「・・隊長?」 物思いに耽っていた翡 ![]() いつの間にか、大隊の仲間達が心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。 不安そうな顔をしていたのだろうか? 「皆、準備はいいな?では、行こう」 翡 ![]() 怒りに任せて志願してしまった翡 ![]() 嫌ならすぐに隊を離れてもいいと言ったのに、皆翡 ![]() 今も、彼らはこれから死にに行くことなど微塵も考えず、自分のことを気にかけてくれている。 翡 ![]() 自分が、彼らを巻き込んだのだ。 この期に及んで、冷酷な兄の心配とは、身勝手にも程がある。 「お〜い、お!あんた、弩兵大隊の奴だよな?あんたらの隊長どこ行ったか知らね?」 「あ、ユーン卿。いたんですか」 「いたんですかって・・ええと、誰だっけあんた?まあいい。翡 ![]() ![]() ![]() 身長128pの翡 ![]() 「ま・・待ってマティルド!」 「殿下。少々お待ち下さい。この不敬な男を斬り捨てますので」 「うわ!ちょい、止めろバカ女!」 翡 ![]() 「ダメだって!ここは宮廷じゃないんだって!クレイの方が上官なんだから!俺達の方が不敬だって!」 “君”ではなく“俺達”と言われ、マティルドは不承不承、といった様子で剣を引いた。王子の名誉を傷つける訳にはいかないのだろう。 「大変失礼致しました、将軍閣下。ですが、ここが戦場でなければあなたの態度がいかにユーンの家名を貶めるものであるか・・」 「ああっ!いいからっ!あっちに行っててよ、もうっ!」 すっかり子供口調の翡 ![]() 当のマティルドさえ笑っているのを見ると、どうやら緊張を解く為の冗談だったらしい。 翡 ![]() 「お・・女は、怖い・・」 クレイにも、通じなかったようだが。 「ごめんクレイ・・あれ、マダム・サレアは?」 大型兵機の脇を通ってクレイに近づいた翡 ![]() 「探すな頼むから!アントニア=ヴィース連隊長が、兵の配置について相談に来たんだ。そしたらあの女、『不潔〜っ!浮気よ〜!』とか訳分かんねぇこと喚いて、どっか行っちまった。助かったよ」 左の頬に残る真っ赤な手の痕を指差して、クレイはげんなりと肩を落とす。 「へぇ・・クレイも緊張してたんだね」 「はぁ?・・まぁいいや。ちょっと聞きたいんだが、お前、先輩の計画どう思う?俺は、敵も味方も無駄死にさせる気だとしか思えねぇんだが」 翡 ![]() 「間違いなく・・その気だよ」 クレイの腰帯が目に入る。 「ふぅん。しかも、どうやらお前の隊が一番危なそうなんだが」 「うん。俺が志願した」 「で、納得してるか?」 翡 ![]() 「・・兄上のやる事なんて、大嫌いだ」 「でも『兄上』は大好きか?・・だろうな。お前は優しい奴だ」 クレイは手を伸ばし、翡 ![]() そして、頭に手を置いたまま、王子と目線が同じ高さになるまで腰を屈める。 「なぁ翡 ![]() 翡 ![]() 「協力って・・クレイ。おまえ、師団長じゃないか。俺は大隊長だぞ」 失敗した時、全部責任を取るのはクレイだ。翡 ![]() 「つまり、上官命令だ。選択の余地はないんだな、悪ぃ」 自信満々の笑み。何でも任せてしまえそうな、頼もしい手。 この再従兄は、翡 ![]() 「・・クレイがお兄さんだったら、兄上にも、良かったのにな」 翡 ![]() 「・・・・」 朝日が昇る頃、ジァヴは服を着替えていた。 王は、まだ部屋の中にいる。 腕を組んで、壁にかかったタペストリーをじっと見つめている。 ・・それも、 「これはクドルーンの伝説だな。戦乙女ジァヴが男の愛を拒んで石になる場面か。それにしても、すばらしい。織り手の技術もさることながら、これほど鮮やかな染色はシナ島の絹布さえ凌ぐのではないか?特にこの紫、染料は何だ?強いて言えば、画面構成は並だな。オシルの驚く様も、ジァヴの苦悩の表情も、型通りで面白みに欠ける。それに時代考証が甘い。この時代にこんな型の甲冑はなかった筈だ。まぁ作り話と割り切ればその程度のことは許容できるが・・」 「・・・・」 下着姿のジァヴは、額に青筋が浮くのを自覚した。 着替えるから背中を向けていろと言ったのは自分だが、そして振り向かれても勿論困るのだが、何故この男はこうまで誠実に後ろを向いているのだ? しかも、ジァヴの裸よりもあの壁掛けの絵の方が余程興味深いらしい。 結婚を迫り、口づけまでした女に、全く無関心とはどういうことだ? (王位が欲しいだけだって、分かっていたけれど・・) 目頭が熱くなるのは、どういうことだ? この苛立ちは、何なのだ? 本当に、忌々しい。 「・・そろそろ、服を着た方がいい」 ジァヴは最初、話しかけられたのだと気がつかなかった。 「そんなに気に入ったなら、壁掛けと結婚すればいいでしょ・・」 横目で王を睨もうとして白いものが目に入り、ジァヴは固まった。 黒い髪、黒いマント。 さっきまで、人影は真っ黒だったのだ。 白い顔が、こちらを向いている。 「い・・いや・・っ」 王が大股で近づいて来る。真っ赤になったジァヴは、あまりのことに声も出ない。 「ちっ」 ジァヴが腰を抜かし、床にへたり込む。 王が寝台から毛布を引き剥がす。 反対側の壁に備え付けられた姿見が、音を立てる。 三つのことが、同時に起こった。 「・・・ジァヴ様」 鏡の裏にある隠し扉を開けたザンは、息を呑んだ。 ジァヴは半裸で、床に座り込み、毛布で体を隠している。 寝台の上にはドレスが脱ぎ捨てられ、シーツに皺が寄り、枕には凹みが二つある。 そして窓際に、黒ずくめの小柄な男が腕を組んで立っている。 ザンは、震えながら頭を反らせた。 尖った顎が、槍の穂先のように王の方を向く。 「き・・貴様が――琺夜国王、か?」 「ザン!え・・?」 ジァヴは呆気に取られた。 どうしてザンがここにいるのだろう?彼は、城の隠し通路のことなど知らない筈だ。 それより、手紙をちゃんと読んでくれたのだろうか? 「いかにも。余が琅珂だ。無礼者め」 ザンが、歯を剥き出して唸る。 「・・・ジァヴ様に何をした?」 ジァヴは、ザンが何を勘違いしているのか理解して、更に赤くなった。 「違うのよ、ザン。私は・・」 「見て分からないか?」 ジァヴの顔から血の気が引いた。こいつはザンを挑発して、手向かわせ、殺してしまう気なのだろうか? ザンの奥歯が鳴る音が、ここまで聞こえて来る。 「き・・さまぁっ!!」 ザンが右手を突き出した。 王はぎょっと目を見開いて、その場を飛び退く。 ごぅっ!!!! 「え!?」 まるで、船が鯨と衝突したような音がした。 頑丈な壁が、見えない何かに殴られて、吹き飛んでしまう。 窓の硝子も、タペストリーも、石壁も。全部庭に散らばってしまった。 「ザ・・ザン・・あなた・・」 「――ザン?もしや、ゼイル家の養子か?死神将官候補だったという・・」 王は、声に焦りを滲ませて、そんな質問をする。 訊かれても、ジァヴだってそんなことは初耳だ。 「殺してやる!!」 再びザンの右手が王を向く。が、 「ふん・・技が大味だな。貴様、不器用だろう」 「!」 ザンは、ぴたりと動きを止めた。 王のすぐ側に、ジァヴがいる。同じ技をぶちかませば、確実に巻き込んでしまう。 「ジァヴ様から離れろ!野蛮人が!」 王は、前髪を掻き上げた。いつもより動きがぎくしゃくしている。 「頭に上った血を下げろ、愚か者。ジァヴ殿が何故動かないと思うのだ?」 事の成り行きに呆然としていたジァヴは、はっとしてその場を離れようとした。 こんな奴を庇ってやる義理などないし、これ以上ザンに勘違いされるのも真っ平だ。 が、腰が抜けてしまって、立てない。 這いずって逃げようとするジァヴの進路をさりげなく塞いで、王はじっとザンの顔を見る。円らな瞳で。 「貴様、本当に余を殺す気か?次は避けぬが、構わぬな?」 「――っ?」 ザンは王を睨んだまま、息を吐き出した。 何度か深呼吸をして、開いていた右手を握り締める。 「な、んだと・・?」 セルズにいた頃、ザンは世にも恐ろしい思いをしたことがある。 “殺戮の御子”と呼ばれる子供――謎の超能力者が、ベルゼゲル大王の膝下イデリイを襲ったのだ。 街を飲み込み、全てを空に吸い上げていく黒い竜巻から、必死で逃げた。 少しばかり風を扱えるザンなど、あの力を前にしては、一溜りもなかった。 その後、“殺戮の御子”が、セルズ王に仕える死神将官によって退治されたと発表され、確かに、二度と謎の竜巻が現れることはなかった。 今となっては、その名は忘れ去られた。それでも、ザンはずっと疑っていたのだ。 本当は、“殺戮の御子”は生きているのではないか。一国の王に転身して、もっと大掛かりな手段で世界を恐怖に陥れようとしているのではないかと。 紅い右目。翠の左目。 こんな色を、誰が持っている?彼と、彼の父親の他に? だが、いざ本人に会ってみて、ザンは迷った。 これが『本物』なら、どうして自分の攻撃程度で怯む必要がある? 彼の碌でもない父親は、あちこちで多くの私生児を作っている。この瞳の色を受け継いだのが、一人だけとは限らないではないか。 もし、自分が間違っていたのなら・・ 「貴様が死ねば――どうなる?」 尋ねられた王は、ちょっと首を傾げつつ、答えた。 「余の考えも、貴様の予想と違わぬと思うぞ?まず、クレオナントが喜ぶであろう。セルズは再びアウリア海に手を伸ばす。我が兄マルヴェも、弟の死を大袈裟に悲しんで見せるであろう。余の復讐という大義名分があれば、軍も奴の言うことを聞く。余に忠実な者ほど、お前達を憎むことになろう。琺夜はマルヴェ王の下で団結し、シノアと双牙列島諸国は一片の慈悲もなく叩き潰される。・・我が国の未来を思えば、余はここで死んでおくべきであろうな」 ジァヴは、驚いて顔を上げた。 ザンも、怒りよりも不可解の勝った表情で、右手を下ろす。 「・・まさか、死ぬつもりだったと?」 王は、けたたましく笑い出した。怖いのを我慢している、とも取れる、ヒステリックな笑い声だ。 「それもいい、と思ったが」 くつくつくつと小鳩のように喉を鳴らした後、上目遣いで首を傾げた。昨夜のジァヴの真似だ。 彼がやると、それはあまりに子供っぽく、あどけなく見えた。 ザンは不意に敵の幼さに気づいて胸を痛めたようだが、ジァヴには、ただ気色悪い演技にしか見えなかった。 何を企んでいるのか。 「・・命が惜しくなってな」 しょぼん、という音が聞こえて来そうなわざとらしさで、項垂れる。 ジァヴの全身が、ぞぞっと粟立った。 「・・・・ジァヴ様に何をしたのです?」 ザンは、最終確認をするように尋ねた。 王は、いかにも恥じ入った風に下を向く。 必要以上に上目遣いで、一言。 「口づけを」 ザンが不審げに眉を寄せると、王は口を尖らせた。 「本当だぞ!クレイ将軍には、さっさと既成事実を作ってしまえと言われたのだが。それ以上のことは、何も。信じられぬなら、ジァヴ殿に問うてみるがいい」 ザンに見つめられ、ジァヴは口をぱくぱくさせた。 この野郎、まるでクレイに強制されて仕方なく、という言い草だ。 嫌な予感がする。このまま王のペースに乗せられていい筈がない。だが、 「・・本当よ」 自分の名誉の為に、嘘はつけなかった。 最悪なことに、ジァヴが認めた途端、ザンの表情が穏やかになる。 琺夜族やセルズ人がよくやる挨拶の口づけなのか、もっと深い口づけなのか、そんなことをわざわざ問い詰めるザンではない。 「違うの!」 「違う?・・ジァヴ様、まさか答えを強制されて・・?」 「え!?いえ・・そうじゃなくて、それは本当だけど、そいつは敵なのよ!?」 ザンは、ジァヴを見つめ、静かに頷いた。 「・・分かっています。けれど、ジァヴ様。私は琺夜の内情について、色々と思い違いをしていたのかもしれません」 (駄目!馬鹿!違うの!そいつは悪魔なの!危険なんだってば!) ジァヴはザンに分かって貰おうと懸命に念を送ったが、通じる訳がない。 「・・陛下、私は、あなたがそれほど迂闊だという話を聞いたことがありません」 ザンは、まだ一応警戒していた。 が、軽く下唇を突き出して拗ねた顔をしている子供を前にしては、それも緩みそうになっている。 「当たり前だ。マルヴェは、もう何年も王になる準備をしていたのだからな。失敗するものか」 「つまり、これは兄君の計画だと仰るのですか?あなたは利用されただけだと?」 王は、顔を真っ赤にして怒鳴る。 「馬鹿を申せ!余は王だぞ!兄上の考えなど、見通している!」 それは、強がっている子供――の演技だった。 ザンは、これで完全に見極めたと思ったらしい。 この王は、駒に過ぎない。本当の敵は、背後にいる、と。 ならば、ザンの行動は一つしかない。 王を人質に取り、琺夜と交渉するのだ。マルヴェ王子が心から弟の死を望んでいたとしても、公に見捨てることはできまい。 ――ザンなら、そう考える筈だ。 ジァヴがその結論に達した時、ザンが口を開いた。 「・・ジァヴ様、どうか、急いでお召し替えを。小船を用意しております。陛下、私達と一緒に来て頂けますね?」 「う、うむ・・よかろう。丁重に案内せよ」 王は、まだ『怯える子供』の演技を続けている。 ジァヴは、ザンに警告したかった。 振り返った王が、獲物を狙う黒豹の目をしていなければ、そうしただろう。 (二人揃って、死にたいのか?) そう訴える目を見なければ、すぐにこいつを殺してくれと叫んだだろう。 だが、ジァヴは何もできずに、毛布を握り締めた。 そう言えば、あれだけ大きな音がして、何故誰も来ないのだろう? 自分も、ザンも、初めから彼の手の上で踊っていたのだろうか? この毛布・・ジァヴに恥をかかせまいと計らってくれた優しさも、確かに彼のものなのに。 「・・すぐに、支度するわ」 ジァヴは、目の前が暗くなるのを感じながら、そう言った。 第9章に続く |
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