Agitata infido flatu ラテン語メモ
Antonio Vivaldi "Juditha triumphans devicta Holofernis barbarie"より

 ホロフェルネスの蛮行を打ち負かし凱旋するユディータ。
17世紀ヴェネツィア共和国に生まれた偉大な作曲家、
アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi)さんによる、現存唯一のオラトリオ。
ラテン語で台本を書いたのはヤコポ・カッセッティ{Iacopo(Jacopo) Cassetti}さん。
※"ジャコモ・カッセッティ(Giacomo Cassetti)と書かれていることも。「ヤコブ」に由来する名前であることは間違いない。
"Juditha triumphans"リブレットに書かれている著者名はラテン語形でJacobus(の属格Jacobi)。
日本語では『勝利のユディータ』と訳されてる。

アッシリア軍に包囲されて追い詰められたベトリアの町に住む、
美しい未亡人ユディトの英雄譚。
その第1章で、主人公の歌うアリア。

X(ついったー)で「Armatae face et anguibusいいなー」って呟いてたら、
おすすめ頂いたのがこちらの動画。こっちもいいな。
オッタヴィオ・ダントーネ(Ottavio Dantone)さんが指揮するAccademia Bizantina Orchestraの演奏で、
コントラルトのデルフィーヌ・ガルー(Delphine Galou)さんが歌うのを、
ヴィヴァルディさん自筆の楽譜を追いながら聴ける。

こちらの動画は、
同じ演奏のミュージック・ビデオ。
Accademia Bizantinaは、バロックを中心とした古楽専門のオーケストラ集団。
その地元ラヴェンナのバニャカヴァッロにあるサン・フランチェスコ古修道院で撮られたもの。
Bravissimi!! アンティーク且つスタイリッシュ!

※黒字のカナがイタリア教会式発音風ルビ、青字のカナが古典式発音風ルビです。古典式のアクセントは強弱ではなく高低ですが、ここではどうでもいいです。
※同じ子音が続いた場合、詰まった音になると言うより、音が子音分長めになる感じです。
※長母音記号を勝手につけています。ラテン語の母音の長短は、それによって意味が変わるぐらい大事なんだけど、教会式発音だと母音の長さは気にされず、アクセントのある母音が強く、若干長めになります。歌の中では別にアクセントがない音節も伸びるけども。

ここまでのあらすじ:
 アッシリア軍は、彼らの王ナブク(ネブカドネツァル)に従わないベトゥリアの町を攻めんと士気を高めていた。
 そんな時、兵士たちを激励するホロフェルネス将軍の元に、従者ヴァガウスが良き知らせを持って来たと告げる。敵の婦人が将軍を訪ねて来たと言うのだ。
 よし、来い。その女がヘブライ人のベッローナだろうと、敵は惨めに困窮して泣き喘ぐばかり。我らの勝利は揺るがな……ぐわああ!眩しい!太陽か!?天の輝きか!?何たる美しさだ!全力で持て成せ!
 平和を願う?慈悲を乞いに来た?何と美しい声か。おい、戦太鼓、静かに!重装歩兵ファランクス、下がれ!ささ、お座りなさい、友よ!
 美女は言う。
 「私のような下女はそのような栄誉に値しません」
 いやいや、いやいや、愛しい人よ、座ってくれ。美しき最愛、我が瑞々しき薔薇、我が輝ける松明よ~以下美辞麗句略~君のおかげで私は幸せを見つけたんだ!アポロンの光が波間に沈んでいる間に、君が私の持て成しを受けて、我らの平和の記念日を共に祝ってくれたら、もっと幸せになるだろう!
 「宴にご馳走などと、断食に慣れた私の唇は麻痺してしまいます。悲しみに暮れる私は、食事に喜びを見出せません。苦しむ魂はそのような喜びを知らないのです」

Agitata infido flatu
Diu volatu
Vagabundo
Maesta hirundo
It plorando
Boni ignara.
Sed impulsu aurae serenae
Tantae cito oblita poenae
In dilecta
Dulcia tecta
Gaudii ridet haud avara.

("JUDTHA TRIUMPHANS TEXT AND TRANSLATION" p4より引用)

アヂータ インフィード ートゥ
Agitāta infīdō flātū
アギータ インフィードー ートゥー
動詞 形容詞 名詞
振り回されて 不確実な/不安な 風のために
不穏な風に振り回されて

agitātaは第1活用自他動詞agitō(絶えず動かす、追いたてる、振り回す、掻き回す、苦しめる、嘲る、実行する、見張りをする、挙行する、振る舞う、滞在する)の完了分詞agitātusの、ここでは女性単数主格形。ここでは述語的用法。主語はhirundō。
infīdōは第1第2変化形容詞infīdus(不誠実な、不確実な、あてにならない)の、ここでは男性単数奪格形。「どこに吹くか分からない」と「安全じゃない」両方の意味かな?
flātūは第4変化男性名詞flātus(風が吹くこと、風、呼吸、高慢)の単数奪格。原因の奪格。

『行く先定まらぬ風に追い立てられて、』

ディ ヴォートゥ
Diū volātū
ディウー ウォートゥー
副詞 名詞
長く 飛翔で
長く、飛翔で

diūは副詞。「日中に、昼間に、長く、長い間、ずっと以前に」。
volātūは第4変化男性名詞volātus(飛ぶこと、飛翔、急速な動き)の単数奪格。手段の奪格。itの手段。

ヴァガンド
vagabundō
ウァガンドー
形容詞
さすらいの
流離の

vagabundōは第1第2変化形容詞vagabundus(放浪する、さすらいの、旅に出ている)の、ここでは男性単数奪格形。volātūにかかる。

『長く流離う旅路を』

スタ ンド
Maesta hirundō
マエスタ ンドー
形容詞 名詞
悲しみに沈んだ 燕は
悲しみの燕は

maestaは第1第2変化形容詞maestus(悲しみに沈んだ、悲しみを表す、悲しませる、陰鬱な)の、ここでは女性単数主格形。
hirundōは第3変化n幹女性名詞。ここでは単数主格。

『悲しき燕は』

プロンド
It plōrandō
プローンドー
動詞 動詞
(それは)行く 泣くことによって
泣くことによって進む

itは不規則自動詞eō(行く、来る、歩く、進む、移動する、取り掛かる、陥る、進行する、過ぎ去る)の直接法能動現在三人称単数形。
 volātū vagabundō(さすらいの飛行で) it(それは行く)と繋がる。
plōrandōは第1活用自他動詞plōrō(泣く、嘆く)の動名詞の奪格、か?あるいは動形容詞plōrandus(嘆かれるべき)の男性単数奪格形の方でvolātūにかかってる?なら、「嘆かわしいさすらいの飛行で(それは)行く」?ラテン語の語順自由過ぎてそれもありな気がする。う~ん?後者の場合、「さすらい飛ぶような事態になったこと」が「嘆かれるべき」って感じ?

『泣き泣き飛び行く/嘆かわしくも飛び行く』

ーニ インニャーラ
Bonī īgnāra.
ニー イーグーラ
名詞 形容詞
良いことについて 無知な
良いことについて無知な

bonīは第1第2変化形容詞bonus(良い、優れた)が中性名詞化したbonum{善、徳、公正、良いこと、長所、益、得、(複数形で)財産}の、ここでは単数属格。ここでは形容詞の目的語属格で「良いこと(/善/利益)を知らない」または形容詞の適用範囲を限定する関連の属格で「良いこと(/善/利益)について無知な」。ちなみに男性名詞bonus(善良な男、勇士、紳士)の単数属格とも取れる。
īgnāraは第1第2変化形容詞īgnārus(知らない、無知な、未熟な、未経験の、未知の)の、ここでは女性単数主格形。hirundōにかかる。副詞的用法。

『良きものを知らず』

ディンルス アウ ーネ
Sed impulsū aurae serēnae
ディンルスー アウラエ ーナエ
接続詞 名詞 名詞 形容詞
しかし 一押しのために そよ風の 穏やかな
しかし、穏やかなそよ風の一押しで、

sedは接続詞。
impulsūは第4変化男性名詞impulsus(突き、押し、圧迫、打撃、刺激)の単数奪格。原因の奪格。第3活用他動詞impellō(打つ、打ち当てる、動かす、追いやる、打ち倒す、破壊する、促す、駆り立てる)の目的分詞(スピーヌム)の奪格ではないよね?
auraeは第1変化女性名詞aura(そよ風、空気、大気、空、蒸気、光、輝き、気配)の、ここでは単数属格。
serēnaeは第1第2変化形容詞serēnus(晴れ渡った、澄み渡った、静穏な、喜ばしい)の、ここでは女性単数属格形。

『けれど、優しいそよ風に吹かれたら、』

ンテ ート オブータ ーネ
Tantae citō oblīta poenae
ンタエ トー オブータ ポエナエ
形容詞 副詞 動詞 名詞
これほど大きな すぐに 忘れて 罰を
すぐにこれほどの罰を忘れて、

tantaeは第1第2変化形容詞tantus(これほど大きな、これほど多くの、これほど重要な)の、ここでは女性単数属格形。poenaeにかかる。
citōは副詞。「速く、すぐに」。
oblītaは第3活用異態動詞oblīvīscor(忘れる、記憶を拭い去る、顧みない)の完了分詞oblītusの、ここでは女性単数主格形。異態動詞なので意味は能動。目的語は通常属格を取る。主語はhirundō。述語的用法。
poenaeは第1変化女性名詞poena(償い金、罰金、罰、損失)の、ここでは単数属格。oblītaの直接目的語。

『これほど重い罰をたちまち忘れ、』

イン ディクタ
in dīlēcta
イン ディーークタ
前置詞 形容詞
~に対して いとしい
愛しい~へ

inは前置詞。ここでは対格支配。「~へ、~の方へ、~の中へ、~に対して」。
dīlēctaは第1第2変化形容詞dīlēctus(愛された、親愛な、いとしい)の、ここでは中性複数対格形。

ドゥルチア クタ
Dulcia tēcta
ドゥルキア ークタ
形容詞 名詞
快い 巣(複)(を)
快い巣(複)

dulciaは第3変化i幹形容詞dulcis(甘い、うまい、かぐわしい、愛すべき、好ましい、快い、いとしい)の、ここでは中性複数対格形。
tēctaは第2変化中性名詞tēctum(屋根、天井、住居、巣、隠れ家)の、ここでは複数対格。複数なの?

ガウディイ デト アウ ヴァーラ
Gaudiī rīdet haud avāra.
ガウディイー ーデト ハウ ウァーラ
名詞 動詞 副詞 形容詞
喜びにおいて (それは)微笑む 全く~でない 渇望している
全く喜びを渇望せずに(それは)微笑む

gaudiīは第2変化中性名詞gaudium(喜び、楽しみ、悦楽)の単数属格。ここでは形容詞の目的語属格で「喜びを渇望している」、または形容詞の適用範囲を限定する関連の属格で「喜びにおいて飢えている」。
rīdetは第2活用自動詞rīdeō(笑う、微笑む、笑みかける、嘲笑う)の直接法能動現在三人称単数形。主語はhirundō。
haudは副詞。
avāraは第1第2変化形容詞avārus(貪欲な、吝嗇な、渇望している、飽くことのない)の、ここでは女性単数主格形。hirundōにかかる。副詞的用法。
 一繋ぎで歌う所は(ガウディィ タウヴァーラ)みたいになる。

『喜びに飢えることなく、愛しく心地好い巣へと、微笑みかける』

 悲しき麗しの未亡人によるアリア。
 ホロフェルネス「最上の天幕で最高の歓迎をしますけど!」
 ホロフェルネスさんちょっろ!!あまりにも即落ち!いいのか、将軍がこんな体たらくで。戦を前に滾っていた部下たちが黙って従うのか?と思いきや、従者のヴァガウス筆頭にアッシリア軍の皆さんも揃ってユディータさんにメロメロでした。「無敵のホロフェルネスに名誉と愛を歌おう!」とか盛り上がってます。是非もなし!

 このアリア、ホロフェルネス側からは「ああ、この美しい燕は私に優しい巣になれと。私の庇護を求めているんだな!」と思える言い回し。何なら"Boni ignara"を「bonum(良いもの)を知らずに」ではなく「bonus(良い男、強い男)を知らずに」と受け取って、鼻の下伸ばしてるかもしれない。
 しかし、ユディータさんの方は、敵方がそのように解釈するよう仕向けながら、民の苦境と神への信仰を歌ってるのかな?
 聖書の記述に、例えばこんなのがある。

万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、
万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらにわがすまいを得させてください。
あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。

(詩篇 第84篇1-4節)
『旧約聖書』(日本聖書協会 1955改訳)p822~823より引用

 ユディト記の時代設定は、ヘブライ人たちがバビロン捕囚から解放されて戻って来たばかりの頃。(その捕囚を行ったのがネブカドネザル2世じゃなかった?そもそもおたくはアッシリアじゃなくバビロニアの王では?などなど各物語の設定や歴史の矛盾を気にしてはいけない。)
 ヘブライ人的には、我らが神の教えを蔑ろにし、神に定められた道を外れたがゆえに、このような苦しみを受けることになった。二度とこのような過ちは許されない。全イスラエルの民は反省し、戦いに備えつつ、今この苦難を神が救って下さると信じて、敬虔に神の教えに従い、祈り続けるしかない。
 「どうか、我らがまたあなたの祭壇の傍らに巣を得ることをお許し下さい、主よ。それが叶うならどれほど喜ばしいでしょう」みたいなことを、歌ってるんじゃなかろうか?
 この歌で語られる深い悲しみと希望は、男を誘惑するためのフリではなく、ユディータの真心からの言葉なんじゃなかろうか。

 こう書いといて何だけど、"Agitata infido flatu"の詩が上記詩篇84篇(ウルガータでは83篇)をオマージュしてる訳ではないと思う。
 だって、たぶん当時のヴェネツィアのカトリック教会で読まれていたであろうクレメンティーナ版ウルガータ(Vulgata Clementina)の該当箇所(Caput 83-4)だと、

"Etenim passer invenit sibi domum, et turtur nidum sibi, ubi ponat pullos suos : altaria tua, Domine virtutum, rex meus, et Deus meus. "
と言うのも、雀は自分のために住まいを、雉鳩は雛たちを置く巣を見つける。あなたの祭壇に、勇猛(美徳)の主よ、我が王にして我が神よ。

 こうだからな!hirundo(ツバメ)じゃなくturtur(キジバト)だからな!
※原文ヘブライ語の女性名詞דְּרוֹר/ḏərōwrがどんな鳥を指すのかはっきり分からないのが原因。アッカド語由来で、原意は「自由に飛ぶ鳥、動き回る鳥」っぽい?現代の聖書では多くの言語で「ツバメ」と訳されてるので、何か根拠はあるんだろう。知らんけど。猶、現代ヘブライ語の男性名詞דְּרוֹר/d'ror(ドール)は「スズメ」である。同音異義語で「自由、隷属からの解放」でもある。日本語やラテン語で「スズメ(passer)」と訳されてる方はצִפּוֹר/tsipor(ツィール 小鳥)である。ややこしいわ!

 ホロフェルネスさんがユディータさんをarmorum Marti ebrea Bellona(マルス軍のヘブライのベッローナ)と言ってたり、敵方の言動がやたらギリシア・ローマ。「あいつら唯一の神にまつろわぬ蛮族だから」を分かり易く表現してるんだろう。18世紀当時のヴェネツィアの人々は、これらの神話の知識も十分にあって理解し易かったんだろうし。アッシリア人が何でベッローナ?イシュタールとかでは?などと気にしてはいけない。
 初演で歌ったのは、ピエタ慈善院(Pio Ospedale della pietà)付属の音楽院に所属する「コーラスの娘たち(Figlie di Choro)」の一人、カテリーナ(Caterina)さん。

 辛く、悲しい身の上を畳みかけるように訴えるユディータ。「アーアアーアアー、アーアアーアアー、アーアアーアアー」が心地良い。後の展開を思うと、あんまりに浮かれてる将軍が気の毒になって来る。

参考・引用資料
"JUDTHA TRIUMPHANS TEXT AND TRANSLATION"台本及び英語対訳
https://web.archive.org/web/20080719194540/http://www.pinchgutopera.com.au/cms/uploads/productions/juditha%20text%20and%20translation.pdf
"Wikipedia"イタリア語版 "Juditha triumphans devicta Holofernis barbarie" https://it.wikipedia.org/wiki/Juditha_triumphans_devicta_Holofernis_barbarie
"YouVersion"内"新共同訳 ユディト記" https://www.bible.com/ja/bible/1819/JDT.1.%25E6%2596%25B0%25E5%2585%25B1%25E5%2590%258C%25E8%25A8%25B3
『旧約聖書』(日本聖書協会 1955改訳)

"Vicifons"(ウィキソースラテン語版)"Vulgata Clementina Liber Psalmorum Caput_83"
https://la.wikisource.org/wiki/Vulgata_Clementina/Liber_Psalmorum#Caput_83

"Bible Hub"内"Hebrew Texts Analysis Psalm 84:3" https://biblehub.com/text/psalms/84-3.htm
"Sefaria A Living Library of Torah"内"Klein Dictionary" https://www.sefaria.org/Klein_Dictionary?tab=contents

この文章書いてる人はラテン語に関してド素人です。
アブラハムの宗教とか色んな知識が中途半端なので、
おかしなことを書いているかもしれません。